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旅した時の経路図 |
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え?フェリーがドッグ入り!? | 走行距離 200km |
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とりあえず北上!! | 走行距離 240km |
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出発して初めてテントに泊まったよ! | 走行距離 200km |
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いよいよ観光開始!! | 走行距離 118km |
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世の中にゃ面白くていい人が居るもんだ。 | 走行距離 80km |
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戸締り役社長おすすめコース | 走行距離 50km |
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疲れた〜!誰か私を泊めてくれ。 | 走行距離 71km |
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きゃ〜!怖いよ〜!誰か〜! | 走行距離 94km |
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え!? マンボーって・・・そ、そ、そんな〜! | 走行距離 177km |
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うわあ!今日の晩御飯が〜!そんな〜! | 走行距離 157km |
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ここなのよ。ここ。一番の目的地は。 | 走行距離 93km |
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こらー!返せー!私の昼飯ー! | 走行距離 111km |
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とうとう、ダウンか!・・・ | 走行距離 119km |
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やっぱりダウン・・・ | 走行距離 0km |
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今日も、ダウン・・・ | 走行距離 0km |
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もうどうでもいいから、青森が、こっちへ来い! | 走行距離 177km |
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戸締り役社長おすすめ第2段! | 走行距離 119km |
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いよいよ北海道だぞー! | 走行距離 177km |
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寒いよー!ここで凍死か! | 走行距離 404km |
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久々に釧路の友達と遊んだよ。 | 走行距離 10km |
この旅日記を書くにあたって -要するに前置き-
ちょうど、4年前の今ごろ、放浪の旅に出てたのよ。バイクに家財道具一式?と思わせるほどの荷物を載せて。
いつ帰るとか、何処へ行くとか、何も決めず、あてもなく、何かに取り付かれたように、旅立ったこの旅。ただ、決めていたことは、東北を旅すること。何も決めてなかった分、いろんなハプニング続出で。(^0^)
さて、どうなるかは、旅日記を読んでからのお楽しみ!!
ただ、4年前のことをなつかしがりながら(これに時間をかなり取る)、思い出しながら書いてるから、記憶があやふやになってるとこがあるかもしれないけど、ごめんちゃい。
もし、載せてる内容に不都合のある人とか(そんなことはないと思うけど)、何かあったら知らせてね!すぐに、そこの部分を削除するから。さあ、それじゃ、楽しんでね!! noisepoll
第0日目 -出発準備-
5.28〜6.3,1996
いろいろと準備は大変だった。一週間くらいかけて、足りないものをバイクやとかキャンプ道具屋なんかにいって、買い足したり、持っていく物を整理したり。なんてったって、いつ帰ってくるのか分からないんだから、旅が長引いた時のことなんか考えたりして。
とりあえず、一番悩んだのは、ライダースジャケットを持って行くか持っていかないかかな。これは、結構悩んだ。だって 持ってかなくて、寒かったら困るし、もし暑かったら、あれ、結構邪魔になるくらいかさ張るから。それじゃなくても、大量の荷物だったしね。
何しろその頃広島は もう夏のように暑かったんだよね。半袖で充分大丈夫かなって感じで。それに その1ヶ月も前のゴールデンウェークにフリーマーケットに出店した時、死ぬほど暑くて、すっごい日焼けしちゃってたし。
散々考えたあげく、もっていくことに決めたんだ。それが吉と出るか凶と出るかは、このあとの日記に続くわけなんだけど、あと準備段階で困ったことってのは、あんまりなかったかな。
ただ、夜逃げするほどのすごい荷物だったから、近所の人に怪しまれたかもしれないけどね。(^0^)
ああ、そうだ。その大量の荷物を荷台に乗っけるのにちょっと頭ひねったかな。うまく積まないとおっこってくるし。
とりあえず、準備も万端。あとは、6月4日の朝、早起きして出発を待つだけ!と言っても、その前日、遅くまで準備してたっけ?もう、都合の悪いことは忘れました。
MAP -旅した時の経路-
第1日目 -広島県〜高知県〜東京行きフェリー内泊
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6/4
'96 雨のち曇り
せっかくの旅立ちの門出の割に 天気が いまいちよくなかったんだけど、この先の旅に対する期待感で、わくわくしながら広島を 朝7時に出発。
とりあえず、四国の高知県から東京までフェーリーに乗って、そのあと、ひたすら北上しようって思ってたんだよね。で、広島県の竹原港に予定どおり到着。
すると、濃霧のため四国行きのフェリーが、30分程遅れてて、え?大丈夫なの?なんて思ってたんだけど、なんとか、そのフェリーも無事、竹原港から四国へ向けて出港。
フェリーの中では、”旅に出てる私ってかっこいい?”などと思いながら、極力、準備の疲れと早起きの疲れを取るよう休息することに専念。”休んどかなきゃ、休んどかなきゃ!”と思えば思うほど、休もうと思うことに専念してしまって、よけい休めなくって疲れたっけ。(^0^)
四国についた後、ちょっと走って11号線に出た辺りで、昼食。ちょっとリッチに
回転寿司。
夕方出発の東京行きフェリーに間に合わせるためその後は、ひたすら高知に続く高速道路で高知県にまっしぐら。
高速道路って、ず〜っと同じ景色で疲れるし長く感じるよね。だけど、ここで、きっとほとんどの人があんまり経験したことないだろってことを 経験したんだ。
みんなもきっとびっくりすると思うんだけど・・・
その高速道路って、対面式の要するに、高知方面1車線、瀬戸内海方面1車線になってて、その真中に植木とか、ブロックとかで仕切ってあって、お互いの車線は見えるけど、自由に行き来することは出来ないような高速道路なわけ。
そしたら、あるトンネルに突入した時、向うに何か居るような気がしたから、目を凝らして見てみたんだけど、やっぱり何もないんだよね。で、何〜だ。ってちょうど思った瞬間に突然、目の前に現れた物体はなんだったと思う?そう、幽霊。なんて、そんなわけはないんだけど、こっちに向かってくる車!!!同じ車線内に、こっちに向かう車!!!それってどういうこと?なんで、高速道路で、しかも1車線で、高知方面に向かう車線内に逆走して来る車がいるわけ?
その車、トンネル内で、気を使ってなのか、トンネルの壁に沿って私達の邪魔になんないように走ってるんだよね。しかも、ライトを切って!!!
壁側に沿いつつ走ったって、私がバイクだからいいようなものの、車だったら離合出来ないっつうの!高速道路内で離合できないってのも初めて聞く話だと思わない?
きっと、その車、どこかの入口で間違って、反対車線の方に入っちゃったんだろうけど、危ないよー!!
だけど、あの人たちもあせっただろうね!だって、高速道路乗ってみたら、自分が
逆走してんだもん。
とりあえず、その車も無事、私のドラテクでかわし、みごと、高知県南国ICで、高速道路を降りて、高知港へ向かう。
なんとか、迷いつつ、15:30高知港へ到着。
高知港から東京行きが出てることと、料金、出港時刻だけは事前に調べてたから ばっちりとか思いつつ乗船券を 買いに切符売り場へ行くと、一枚の張り紙が・・・
”6/10〜7/3まで、東京−高知間フェリードック入りのため運休。”
え?ってことは、もし同じルートで帰ってくるとしたら、7/3まで帰ってこれないってこと?ま、それもありなんじゃないの〜!だって、フェリーがドック入りする前までに帰ってくるとすると、あと1週間もないじゃん。などとさり気に思いつつ、フェリーが港に入ってくるのを待ったっけ。
確か、夏休みとかGWとかじゃないのに、他にもライダーが同じフェリーの入船を待ってたっけね。
そうこうしてると、私たちが乗り込む船が港めがけてゆっくりと入ってきたんだ。そん時、思い出したよ。沖縄に前行った時、乗った船を。そうそう、あれもサンフラワーだったよなー。って。
とにかくでかくて、ウォー!って感じだったよね。その、ウォー!っていう感情の中には、ウォー!でかいー!汚いー!さすがドック入りー!って気持ちも含まれてんだけどね。
東京からやって来た客とかが、下船して、船の給油なんか済ませたりなんかして、私も船に乗り込んだのさー!!
18:20 10分遅れで、高知港を出港。たいした揺れもなく、快適。ちょっと汚いことを除けば。
まずは、船内探検。特に異常なし。つまり、特にこれと言って、すごいじゃんと思えるものが何も無し。
ああ、有ったかも。それは、卓上インベーダーゲームのような古いゲームばかり並べてあるゲームセンター(?)の横が、破れた所にガムテープが張ってあるベンチの置いてある何の変哲もない喫煙所。そこが、確か唯一の休憩場所だったような・・・
夜、フェリー内のレストランで夕食を取って、いざ、お風呂へ。
これがまた、地下とかにあって、お風呂行くまでの道のりが確か、ムワーッと暑く恐ろしかったような・・・しかも、お風呂は錆びてるし、長年の水の流れに沿って、コケが生えてるみたいに見えるし、暗いし、とにかく怖かったから、急いで、風呂から出たよね。
といったところで、船内での先は長いし、その晩は、床に就く。さて?何時ごろだったか?全く記憶なし。おやすみ。
第2日目 -東京港〜茨城県〜ひたちなか市泊-
6/5 '96 晴れ
フェリー内のレストランで朝食を食べたんだけど、その時のレシートが残ってて、時間が、
8:40になってるってことは、8:00頃 起きたのかなあ?
お昼ご飯もそこで食べてるんだけど、とにかく船内のレストランは、高かったよね。ビュッフェ形式になってて、あれ食べたいこれ食べたいになっちゃうし、な〜んにも考えてなかったから もちろん、お菓子とか、ちょっとした食料とかな〜んにも持って行ってなかったから、まあ、しかたなかったんだけどね。
まあ、いい勉強になったってとこかな。今度、船に乗るときは何か買ってから乗ろう!って。
フェリー内では何してたかなあ?トランプしたり・・・一人トランプじゃないよ!
ああ、そうだ!途中、この船は、那智勝浦港(三重県?)に寄ることになってたんだけど、そこで降りるとか言ってた一人旅の若い女の人とちょっと話したかなあ。
九州から来てた人だったんだけど、ツアーに一人で申し込んでみたら、結局、これは何かのご老人会?と思わせるほど、年齢が上の人たちばかりだったからびっくりしたって。でも、それなりに楽しいとか何とか。
で、そのツアー客のうちの一人のおじさんが、釧路−東京間のフェリーは、なんでもすっごく快適でこの船とは全然違う!っていう話を 何時間も聞かされてちょっと疲れてたんだって。
まあ、このたわいもない話を後になって、心に染みて思い出す破目になるんだけどね。
約23時間の船旅を経て、14:45 東京港入港。
もう、今では、いったい何処をどう走ったのか・・・とにかく、こんな都会じゃ、今晩、テントを張るとこがないからどこかへ逃れなきゃ!って言う一心で、茨城県方面へ向かってひたすら走ったよね。
あれだけ悩んだ、ライダースジャケットだけど、脱いでて別に問題ない程度だったんだけど、邪魔になるから、とりあえず、着て走ってたかな。
夜になって、ちょっと肌寒く感じるくらいだったから、やっぱり持って来てよかったのかも。って思ったよね。まあ、この後、痛い目に会うんだけど。
残ってるレシートを見てみると、どうやら、首都高とか常磐道とかを通ったみたい。
ああ。そうだ。思い出した。確か、東京港に着いたのはいいけど、関東方面の地図を持ってなかったから晴海通りのLAWSONで 地図とむすびを買って、食べながら調べたんだ。いや、違う。むすびは買ったけど、地図は立ち読みしたんだ。
茨城県くらいに行けば、どこかでテント張れるかな?って思って、とりあえず、その方向に出発。
水戸ICで降りて、太平洋側に出て、ひたすら走ったけど、日が暮れるばかりで、結局、テントをはれそうな場所が見つけられず、ひたちなか市で、旅館のようなビジネスホテルのようなものを発見して、そこに泊まったんだよね。
結構、値段が安い割に、なかなかよかったよ。確か、目の前は阿字ヶ浦っていう海岸のまん前に建ってたと思うんだけど。おまけに、ちょっと洗濯物がたまってて、事情を話したら、洗濯機を貸してくれてね。ただで。
え?出発してから、まだ2日目なのに、どうしてもうそんなに洗濯物がたまってるかって?
だって、出発初日、家を出て、四国に渡るフェリー乗り場に向かう途中、雨が降ってきたんたんだよね。それで、急いで、カッパ着て、荷物に、黒いごみ袋とか、かけたんだけど、やっぱ水が染み込んできてて、服とかが濡れちゃって。
おまけに、東京行きのフェリーの中には洗濯機がなかったもんだから、その1日の間に服が全体的に、臭くなったような気がしてね。っていうか、臭かったよ。かなり。
洗濯して、お風呂に入って、ご飯を食べて、気持ちいい布団で寝たんだ。確かに、こじんまりとはしてたけど、小奇麗にしてあって、なかなかよかったんじゃないかなあ。
といった感じで、洗濯物を部屋のそこらじゅうに干して、おやすみなさい。
第3日目 -ひたちなか市〜福島県〜裏磐梯泊-
6/6
'96 晴れ
朝、ひたちなか市の旅館で目が覚めて、朝ご飯。どんな朝食だったか、全然思い出せない。
とにかく、荷物の整理と出発準備。前日干しておいた洗濯物は、生乾き。洗濯物を旅館の部屋に干したまま出発するわけにも行かず、たたんで鞄の中へ放り込む。
荷物を全部、バイクまで、運ぶ作業がまた、結構大変で・・・昨日の晩、全部おろして、旅館に運んだばかりなのに・・・とにかく、また、落ちないように、しっかりとバイクの荷台に縛るって言うか、縛り上げる。
朝10:00、準備も整い、いざ、出発!
太平洋に沿ってしばらく北上。いわきで昼食。
旅ノートに、13:00、いわき 昼食 うどん坂 って書いてあるんだけど、これは、うどんを食べたんだろうか?それとも、うどん坂って言う坂の名前をとった、レストランか何かの名前で、ハンバーグ定食とか、うどんとは全く関係ないものを食べたんだろうか?う〜ん。気になるけど全然思い出せないや。
情磐越道のいわき三和ICで高速道路に乗り、猪苗代磐梯高原でおりる。
たしか、一面田んぼで、向うのほうに磐梯山が見えたっけ。そのままどんどん磐梯山に向かって走った。とにかく、日暮れまでに、テント張るとこを探しておきたかったしね。
磐梯山辺りに着くと、自然がいっぱいで、あちこち観光するとこがあったっけ。とりあえず、あてもなく走ってると、キャンプ場の看板があったから、そのキャンプ場へ行ってみた。
湖のそばにあるキャンプ場で、トレーラーハウスなんかもあったよね。そのトレーラーハウスが、とっても面白そうだったから、羨ましかったんだけど、長旅で、お金をあまり使いたくなかったから、やっぱり、テントを張ることにしたんだ。
テントサイトはどこ?って聞くと、何処でも好きなとこに張っていい、って言われたから、湖のすぐほとりにテントを張ったんだよね。ウォーターフロントって なんか、リッチな感じがするでしょ。
また、荷物としばらく格闘して、夕食までにまだしばらく時間があるなって思ってたら、そこのキャンプ場を経営してる結構若い夫婦の奥さんが、その辺で取れた山菜なんかを 料理したものがあるから、間食にどう?とか言って、呼びに来たんだよね。で、ありがたくいただきにいったよ。
しばらく、その奥さんと、話に花が咲いたんだけど、広島とかそんなに遠いとこから来た人は、初めてとかで、珍しがってたっけ。あと、この先、東北へ行くって事以外、何も予定を 立ててないってことにも。
そのあと、しばらく、湖周辺を散策して、キャンプ場のお風呂に入りに行ったんだ。
お風呂の入口のドアを開けて、びっくり!!だって、キャンプ場のくせに、結構広くて、どこかの旅館の風呂を思わせるようなお風呂だったからねえ。
え!?キャンプ場の風呂って、コインシャワーとか、あんなもんじゃないの!?なんて思いながら、ゆっくりとそのお風呂で、一日の汚れと疲れを取ったっけ。あ、あと、ついでにちょっとした洗濯物も・・・
お風呂から出て、夕食の仕度をしたよね。メニューは思い出せないけど、確かなことは、少し多めにご飯を炊いて、明日の昼食用におむすびを作ったかな。余ったおかずとおむすびで明日の昼食はばっちりでしょ!
あと、この頃、生まれて初めて気付いたことがひとつ。新潟も、福島も東北だと思ってたけど、実は、東北じゃないってこと。目からめん玉が落ちたよね。もう、すっごいびっくり!
福島はともかくとして、新潟が東北じゃなかったなんて・・・
私だけなのかなあ?こんなこと信じてた人って・・・
まあ、そんなこんなで夜もふけて、テントに入り込んで、おやすみなさい。
第4日目 -裏磐梯〜会津若松〜喜多方〜米沢市泊-
6/7
'96 晴れ
旅をするといつものことだけど、朝、サンドウィッチを作って食べて後片付け。またまた、荷物の整理。テントたたんで、荷物をバイクに縛り付けて・・・
ゆっくりめの朝を過ごして、朝11:00、出発。
昨日、通ってきた道に戻りつつ、前日に目をつけておいた、3Dワールドへ行ってみた。
入口で、変な紙で出来たメガネを渡され、映画館のようなシアターの中へ入っていった。
確か、その地域の歴史とか、そんなことに関係した内容の映像じゃなかったかと思うんだけど、はっきりと覚えているのは、どこかの山が噴火して、ごろごろ石が目の前に転がってきて、よけようとした記憶があるんだよね。きゃー!3Dって、ほんとに迫ってくる感じでおもしろ〜い!!とか、思ったっけ。1連の内容は、ふ〜ん。って感じだったとは、思うんだけど。
3Dワールドを出た後、五色沼へ。
なんでも、沼が5色に見えるって何かに書いてあったような気がしたからね。
行ってみると、確かに沼は、何色かの色にわかれてたよね。紺色っぽいとこ、緑っぽいとこ、ターコイズブルーのとことって感じで。でも、5色じゃないじゃんって思ったよね。確かに綺麗だったけど。
海の色とか、山の色、とにかく景色ってのは、天候に左右されちゃうから、もっと天気がいいと綺麗にいろんな色に見えたのかもしれないね。このころ、ちょうど梅雨時だったから、この日記に晴れとか書いてても、実際は、なんとな〜く晴れ、って言うかんじで、ほとんど曇りに近い、どんよりとした晴れだったからね。
確かに、五色沼の色は変わってて、気になったから、ボートを借りて、沼に漕ぎ出すことにしたんだ。ボートは快適だったよ。適度な運動にもなったしね。
五色沼を出た後、ゴールドラインってのを通って、一路会津若松へ。
会津若松に入ったころから、向うのほうに、何か大きい変なものが見え始めたんだよね。近づくにつれ、それは、でっかいマリヤ様のような、仏像。う〜ん。マリヤ様のような仏像ってのは、とっても、妙な表現だね。だって、じゃ、それは、何経なの?ってことになっちゃうもんね。キリスト教?仏教?これは、大きな違いだけど、私には、確かにマリヤ様の仏像にしか見えなかったんだけど・・・
とにかく、そこは、教会か何かなのかなって思ってたら、もっと近づくと、武家屋敷の中にそれが、立ってんだよね。”あ〜、やっぱ、マリヤ様の仏像じゃん。”などと思いつつ、その武家屋敷の駐車場に到着。
ここは、いったいなんなのかを確認。会津村って書いてあったよ。とりあえず、中には入らず、もう、昼食時も過ぎてたから、昨日作っておいた、お弁当まがいを その駐車場で食べたんだ。
昼食後すぐに出発。白虎隊自刃の地へ。
白虎隊自刃の地では、歴史について考えたりしつつ、墓を見てまわったり、しばらく、歩き回ったかな。でも、そこに行くまで、階段を、しばらく歩いて上がったと思うんだけど・・・
で、そこで、さざえ堂って言う塔のようになってる建物があったんだけど、その構造がとっても面白くて、なんか、だまされてるような気分になったよね。もし、そこへ行くことがあったら、さざえ堂の中へ入ってみてよ。下の入口から入って、ずっと、円を描くように階段を上まで上がってくんだけど、一番上かなここは、って思えるところから、下り階段になるんだよね。何処とも全く、交差しなかったのに、気付いたら、下の出口まで降りてるんだ。
とにかく、何かが、変だから。
その後、会津武家屋敷ってのを見てまわって、一路、山形へ向かって出発!
夕方、18:00頃、喜多方に入った時、思ったよね。あれ?喜多方って、ラーメン?って。
ガソリンもなくなってきてたから、ガソリンスタンドに入って、美味しいラーメン屋さんありますか?って聞いたら、ラーメンマップってのをくれて、1軒、その時間でも開いてて、おすすめだよってとこを 教えてもらって、行ってみたんだ。
まこと食堂って言うんだけど、行ってみると、中は座敷になってて、いろんな芸能人のサインがそこら中ぎっちり貼ってあったよ。ラーメンを注文してから、しばらく芸能人のサインなんか眺めちゃったりして。そうこうしてるうちに、ラーメンがきて、晩御飯。
もーそりゃ、うまかったね。
私、広島に住んでて、広島じゃラーメン屋行くのだいっ嫌いなんだよね。広島のラーメンってとんこつ醤油なんだけど、それはいいとして、まずい。全体的にまずい。それまで、ラーメン食べに行って、うまいと思ったことがない。そんなもの食べに行くくらいなら、カップラーメンでいい。やっぱり、広島は、お好み焼きだしね。
広島の美味しいラーメン屋さんいたら、ごめんなさい。だけど、私の本音です。あの店うまい!ってきいて、行ってみて、うまかったためしがない。ほんと。
で、いったい何が言いたいのかって言うと、その喜多方で食べたラーメンが、生まれて初めて、ラーメン屋で食べたラーメンが美味しいと思ったってこと。
毎日、ここに食べに来たい、って思ったよね。
その後、だいぶ日も暮れてきて、テント張るとこを探しつつ、R121を通って、山形へ向かって、北上。
米沢の手前だったか、とにかく、その辺りで、あるトンネルに突入。ボーッと走ってたんだけど、途中で、異変に気付く。なんか変だな?何が変なんだろ?って思ってたら、逆走して来る車。
じゃないよ。そのトンネル、ちょー真っ直ぐなんだよね。ここは、北海道かー!って思っちゃうくらい。で、しかも、長い。長〜いトンネルは通ったことあるけど、そんな真っ直ぐで、しかも、長ーいトンネルを通ったことなかったから。ちょっと、感動。
ようやく、R121の米沢辺りで、道路わきに、ちょっとした、トイレと駐車場を発見!!
もう、ここに泊まるしかないでしょ!
さっそく、トイレの裏へまわってみると、ちょうど、テントが張れそうなスペースがあったから、そこにテント張って、荷物と格闘して、トイレで、顔などを洗って、おやすみなさい。
第5日目 -米沢市〜山形県蔵王泊-
6/8
'96 曇り
朝起きて、トイレで顔を 洗い、トイレ裏で、朝ご飯を 作って食べた。
トイレで、鍋や食器なんかを軽く洗ってると、トイレ休憩に立ち寄った人たちに、不信な目でみられた。何してんの?この人たち、こんなとこで?って感じで。
またしばらく、荷物と格闘した後、山形へ向けて、トイレ裏を10:00に、出発。
121号線をでどんどん北上すると、米沢で、ケンタッキーフライドチキンを見つけて、昼食のため入った。
こんなとこまで来て、ファーストフードかー、などと思いながら、食べたっけ。やっぱ、腹へってたから、それには勝てなかったよね。
そのあと、今晩泊まるとこ何処にしよう?なんて、考えてたら、地図で、蔵王山を発見。
たしか、蔵王って、スキーなんかで有名だよねえ?そう思って、蔵王山へ向かって出発。
蔵王山のちょうど下辺りの赤信号で止まったとき、隣の車線に止まってた車の人たちが、バイクのナンバーを 見て、驚いたらしく、キャーキャーワーワー言いながら、話し掛けてきたんだ。だって、広島ナンバーでしょ。おまけにすごい荷物だったしね。
”え〜!?ほんとに広島から来たの?いつあっち出たの?これから何処行くの?”なんてなことを慌てて聞かれて、慌てて答えたら、信号が青になったので、”気を付けてね!”などと言われて、わかれたよね。
やっぱ、珍しいよね。そんなナンバーの人が、そんなとこ走ってたら。ああ、なんか旅してるな〜!なんて思いながら、蔵王山を上っていったんだ。
しばらく上ってくと、途中で、釣り掘りしてる人なんかを横目で見つつ、どんどん山の上へ。
とにかく、上へ行けば行くほど 寒くてね。あげくの果てに、雪が残ってて、その雪残ってるとこで、スノボーしちゃってる人なんかがいたりして。とにかく、寒い。おいおい!もう、6月だぞ!なんで、雪があんだよ!なんて思ったよね。
やっぱ、ライダースジャケット持ってきて正解だったよなー。っていうか、まだなんか着たい、って感じだったよね。
このまま上へ行きたくなくなっちゃってね。だって、寒いし、こんな寒い中で、テント張るのか〜?今晩。いやだー! おまけに、な〜んか雨降りそうだし。寒いし雨〜!? いや〜ん。誰か天気予報教えてー!とか思って、もうそれ以上、上へ行くのを止めて、ユーターンして降りることにしたんだ。
さっきの、釣堀の辺りまで降りてくると、寒さが 何とか耐えれるほどになったよね。
で、今晩の夕飯の心配もあったし、誰かに、天気予報も聞きたかったし、遊びたかったから、その釣堀に行くことにしたんだ。だって、釣ったら、食べられるし、焼いてもらって、今晩のおかずにすればいいやって思ってね。
釣れたよ。すっごい釣れた。面白かったね。それを、焼いてもらって、食べたんだけど、そこで、魚を焼いてたおにいさんに、”すいません。明日の天気予報分かりますか?”って、聞いたのが、この出会いの始まりだったんだけど、これまた、面白い人でね。
この人も、バイク乗りで、顔をすすで真っ黒にしてる人見りゃ、この人、バイクに乗ってんなってすぐわかるから、いつ私たちに話しかけようかって、気になってたんだって。
とにかく、魚を焼きながら、しばらく私と話してると、そこの釣堀の周辺が芝生になってたんだけど、その敷地内にテント張っていいから、今晩、泊まんなよ!って言ってくれたんだよね。
でも、そんなこと、このお兄さん勝手に決めちゃっていいのかなあ?って心配になったから、”誰かに聞かなくていいの?そんなこと勝手に決めちゃっていいの?”って聞いたら、”何言ってんだ!俺は、ここの、取締役社長だよ!”って言うんだよね。”ああ、若いのにえらいね!”なんて言ってたら、”何言ってんだ、人の話、よく聞けよ!俺が言ったのは、戸・締・り・役社長って言ったんだよ!”だって。
とにかくその人、ほんとに、戸締り役だったんだけど、と言っても、そのスキー場とか、釣堀とかの社長の息子さんだったんだけど、その人が、仕事終わる、夕方まで、焼いてもらった魚食べながら、待ってたんだよね。
その人も、ようやく、店の戸締りをして、仕事が終わると、ビールを持ち出してきてくれてね。もう、こうなると、宴会でしょ。
夜遅くまで、時間が足りないかのように、夢とか、いろんなことを、語り合ったよね。
その釣堀の横に、レストハウスなんかもあったんだけど、その中の冷蔵庫から、勝手にビール持ってこい!なんて言ってくれてね。どんどん飲んだよ。
夜もふけて、その人も明日仕事だからって、帰っていったんだけど、戸締り役だから、どうせ、朝一番に来るからって。
芝生の上に前もってテント張っといたんだけど、芝生の上にテント張ると、寝るとき気持ちいいよね。背中の感触が全然違う。
そのテントにもぐりこんで、今日は、おやすみなさい。
第6日目 -蔵王−お釜〜岩沼泊-
6/9
'96 曇り時々晴れ
朝、目覚めて、レストハウスのトイレで顔を洗ったりしてると、やっぱり、戸締り役社長は、もうすでにそこにいたよね。
おはよ。って挨拶してから、テントたたんだり、しばらく荷物と格闘。
出発の準備も出来たから、戸締り役社長にお別れの挨拶に行ったんだ。
レストハウスの中で、戸締り役社長にしばらく、道とかおすすめの場所なんかを聞いて、別れたんだけど、さり際の、戸締り役社長の後姿が、とっても、さびしそうだったよね。
なんだか、ずーっと昔からの友達と別れるような感じで、さびしかったよ。
でも、それを振り切って、戸締り役社長に教えてもらった、お風呂へ向けて出発。何ていうんだろ?ああいうの。公営浴場って言うのかなあ?
とにかく、昨日上ってきた道を、下っていった。
あったよ。教えてもらった、温泉。確か、広島にある、普通の銭湯よりも安いくせに、温泉だったっけ。驚いたよ。広島にはないからね。あんまり温泉が。
シャンプーや石鹸のセットを一人分しか持ってなかったから、先に私が使って、お風呂の中に、男女を仕切る壁の上んとこに 隙間があるでしょ。あそこから、相方に、投げてやったんだけど、そん時、叫ぶでしょ。”行くよー!”とか、”もう、終わったから、使うー?”とか。
ちょうど、それを聞いてた、おばさんが、私の話す言葉が山形弁と違うし、お風呂に入る前に広島ナンバーのバイクを見たけど、旅してんの?なんてことになって、しばらく話したんだけど、約7割くらい、実のとこを言うと、何言ってたかわかんなかったよね。英語より難しかった。
ずーっと、うんうん。って聞いてたんだけど、ときどき質問だったりして、その質問に答えずに、ずーっと、うんうんって、うなずいてしまったよ。まさか、それが、質問だってわかんなかったから。
とにかく、2日分のあかを落として、お昼ご飯を食べに、戸締り役社長が教えてくれた、おいしいラーメン屋ってのに行ったんだ。
おいしかったよ。やぶそばって店だったんだけど、とにかく、これも美味しかった。時々食べたいと思ったよね。
喜多方でラーメン食べた時も、美味しかったけど、北の方って、ラーメンがうまいのかなあ?とか思っちゃった。
そのあと、これまた、戸締り役社長に教えてもらってた、蔵王のお釜ってのに行ってみたんだ。
戸締り役社長のいる釣堀の方へ、もと来た道を、また戻っていったんだけど、途中、釣堀を横目にどんどん山を上がっていったんだ。そうそう、昨日、寒くてもうこれ以上上へ行きたくないと思った地点も越えて。
お釜まで、確か、リフトに載って、ちょっと歩いたかなあ。
そんなに期待してなかったのに、突然目の前に、壮大な景色が広がってね。うわー!って思った。
この旅の中で、景色がよかった、ベストテンに入ってるよ。
その後、山を下って、再び太平洋側へ。
仙台に向かってたんだけど、日も暮れてくるし、疲れが出てくるしで、仙台の手前、岩沼辺りで安いラブホテルを見つけて、泊まることに決定。
ホテルに入ると、もちろん、休憩もだけど、それよりも、ちょっとやることもあったんだ。
そうそう。洗濯物。
手洗いで洗えるものを、あれこれ洗って、部屋のそこら中に干して、それから、こっそり、ご飯の仕度。ご飯炊いて、ちょっとしたおかず作って、明日用におむすび作って。
ホテルの人、ごめんなさい。
あとは、ゆっくりお風呂に入って、旅の疲れを取るため、今日は、気持ちのいいベットで、おやすみなさい。
その前に、もうひとつ。
例の戸締り役社長だけど、その後、手紙のやり取りとかあって、いまだに、仲良くしてもらってるんだよね。今では、メールとかもあるしね。ぜひ、その人のHPへも 遊びに行ってみてね。リンク集にも載せてるけど、戸締り役社長のHPへ飛びたい人は、ここをクリック!
それじゃ、今度こそ、おやすみ。
第7日目 -岩沼〜仙台〜松島〜奥松島泊-
6/10
'96 曇り
この辺りから、ちょっと疲れが出始めるんだけど、この旅が終わる、その日まで、ずーっと疲れてたよね。寝ようが何しようが・・・
そんなこんなで、結局、延長して、ラブホテルでお昼までいたんだよね。
出発前に、これまた、荷物との格闘だし・・・
その後、とりあえず、日本三景の一つ、松島へ行っとく事にしたんだ。
広島には、そのうちのひとつ、宮島があるでしょ。だから、宮島には、何回も行ったことあるし、天橋立にも行ったことあるけど、松島には、行ったことなかったから。日本三景、制覇だー!とか、思って。
昼過ぎに、仙台を通過したんだけど、街中は、もういいから、ここから、離れたいー!と、思って、急いで通過したよね。
ほんとは、仙台って、どんな町だろ?って、前から気になってたんだけど、もう、立ち寄る元気が、あんまりなかったから。
いよいよ、15:00、松島に到着したんだけど、これまた、ふ〜んって感じで、歩き回る元気がなくって、もういいやってなっちゃったから、ほとんど、素通り状態。
おまけに、もう15:00でしょ。とにかく、毎日、寒かったから、15:00を ピークに気温がどんどん下がってきて、バイクなんか乗っていたくなかったんだよね。だから、15:00くらいまでには、どこか、泊まる所を確保しておきたかったって言うか。そんな、先を急いでる旅でもなかったし。
疲れてるし、寒いしで、テントはイヤー!!とか思って、安い民宿とか、ホテルを捜し歩いたんだ。松島周辺は、観光が盛んで、いろんな立派そうな旅館なんかも一杯あったけど、先が長いってんで、やっぱ、安宿でしょ。泊まるんなら。
実際、こんなに寒いとか思ってなかったから、ほとんど毎日テント張る気でいたしね。それが、そうもいかなくて・・・
泊まれそうなホテルも見つかんなくて、奥松島の方へ向かったんだけど、途中、何とかホテルって書いてあって、すっごいボロくて、安そうなホテルを見つけたんだ。そこで、さっそく、値段を聞きに行ったら、素泊まりで、8000円、とか言いやがって、がっかり。
私の中で、民宿なんかは、1泊2食付で6000円くらいって、思ってたから、そりゃ高いんじゃないの〜!?って思って、がっかりしながら、そのホテルを出て、”あ〜・・・また、探さなきゃ・・・”なんて思ってたわけ。
で、バイクで再び出発しようとしてたら!!そのホテルに、喫茶部門的な感じって言うか、ロビーっていうか、そんなとこでお茶飲んでた、5〜6人のおばさん集団がいたんだけど、そのうちの一人が駆け寄ってきたんだよね!
その人、一部始終のやり取りを見てたらしく、親切にもいい民宿があるからって、紹介してくれたんだ。このホテルは、高いしくだらないから、泊まるな!とも言ってたよね。あと、その民宿ってのは、そのおばさんたちが、その日のお昼に昼食をよばれてきたとこらしくて、とにかく、料理がすごいからって。
おまけに、その民宿に電話までしてくれて、料理は、その日、おばさんたちが食べた物と同じものがついて、1泊2食付で、6000円だってことまで確認してくれて。
だけど、そのおばさんも、驚いてたよ。あの料理がついて、1泊2食付で6000円は安すぎるって。
だから、私たちも そこへ行った方がいいって、進めてくれてね。って言うか、そのおばさんが、予約を入れておいてくれたんだけどね。
旅ってほんとにいいよね。こんな親切な人にまで、会えるんだもん。普段の生活じゃ、なかなか出会わないでしょ。こんな瞬間に。ほんと、その時のおばさん、ありがと。
とにかく、言われた通り、その民宿に到着。
その民宿の目の前が、確か、防波堤かなんかになってて、海のすぐそばったったかな。大浜荘ってんだけど。なかなか立派なお宅だったよ。
またまた、荷物との格闘。
しばらくして、大浜荘のおばさんに バイクをちょっと動かして欲しいって言われて、動かしたんだけど、なんで邪魔なのかなあ?って思ったら、なんか、漁業用の網を 開いて、家族でなんかやってたっけ。まあ、あとで、なるほどねって思うことになるんだけどね。
お風呂入って、部屋でしばらく休憩。
こん時の写真があるんだけど、すっごい、死んだように疲れた顔してる。とにかく、疲れてたよ。
ただ、タイミングがよかったのは、バイクを動かしてから、雨が降り出したことだね。だって、今日一日、雨に濡れずにすんだでしょ。
夕飯ですよ!って呼ばれて、階下へ。
座敷に膳が用意してあって、そこへ着席。
すると、どうでしょう!!!!! 膳の上にも下にも横にも新鮮な海の幸で一杯!!!!!
広島の街で、これほどの料理を食べようと思ったら、1万、2万、3万円くらい!???? あれ?もしかして、宿泊料金、聞き間違えちゃったかな? 6000円じゃなくて、1万6000円とか??? なんて、思って、目の前の料理はうれしいけど、不安で一杯になっちゃってね。とにかく、私の頭ん中は、ひえ〜っ!どうしよう!で、いっぱいだったよね。
そしたら、どうやら、その不安を 民宿の奥さんが料理を運びながらさっしたらしく、”大丈夫ですよ。1泊2食付で、6000円ですよ! 今日、お昼にお客さんもいらっしゃって、食材が、豊富にあったから。” って、言ってくれたよね。
もし、そう言われなかったら、朝、宿泊料金を払うその瞬間まで、不安だったと思うよ。
だけど、その時、あの網の訳と、その民宿を紹介してくれたおばさんが言ってた訳がわかったよね。
ひとまず安心して、大喜びで料理に飛びつく。
お刺身の盛り合わせの皿、2皿。(普通1皿だよね。)鯛の焼き魚、揚げ魚、殻付きかき、殻付きうに、かに入り味噌汁、アサリの酒蒸し、ほたて しゃこ、メロン・・・ とにかく、これでもかー!!ってくらいあった。大満足だよ。
何度も言うようだけど、とにかく疲れてたから、もう おやすみ。
第8日目 -奥松島〜石巻〜牡鹿半島泊-
6/11
'96 雨のち曇り
朝目覚めると、最悪の大雨。こんな中を バイクで出て行くのか〜!? 何て思ってたら、民宿の奥さんが、”なんだか、疲れてるみたいだし、雨も降ってるから、気がすむまでうちにいていいですよ。”って言ってくれたんだよね。で、ほんとは、チェックアウト10:00だったんだけど、お言葉に甘えて、お昼前まで、その民宿でゆっくりしたんだ。
そうこうしてるうちに、雨もなんとなく、和らいできてね。いつまでもいちゃ悪いような気がして、荷物と格闘して、カッパを着て、11:30 決死の出発作戦にでたんだ。
その30分後、伊達正宗歴史館に到着。
ちょうど、雨も上がって、ラッキーだったんだけど、とりあえず、歴史館を見てまわって、駐車場でボーッとしてたら、これまた旅してるおばさん軍団に出くわしてね。
そのおばさんたちが、バイクのナンバーと、大量の荷物を見て話し掛けてきたんだけど、そのおばさんたちは、青森から、南へ下って旅してるとかで、確か、中国地方か、関西方面の人たちじゃなかったかなあ。その辺まで、旅して帰るって言ってた。青森の十和田山って言ったかなあ? 確かそんな感じだったと思うんだけど、そこが、すっごくよかったから、これから、私たちが北上するんなら、そこへ行けって言ってたよね。
お互いの無事を祈りつつ、その人たちと、そこで、お別れ。
その後、牡鹿半島の先端まで行ってみる事に決定。しばらく、海岸線に沿って、太平洋側を北上。
石巻辺りで、何ていうんだろ?ああ言うの。パワーセンターって言うのかなあ?あれこれ、スーパーとか集まってるような。いや、あれは、ただのスーパーだったかもしれないけど、とにかく、その中にあった、軽食コーナーで、遅めの昼食。
牡鹿半島に入って、ずーっと半島の先端に向かった。
毎度の事ながら、寒いし、日が暮れるしで、早くテント張るとこみつけたかったんだけど、なかなかこれがうまくいかないんだよね。
その日、確かに、もう雨は降ってなかったんだけど、牡鹿半島に出ると、霧って言うか、もやって言うか、とにかく、視界が悪くてね。自分が走ってる左側は山手で、右側は、海かもしれないんだけど、何にも見えない。だから、海沿いよりも、ちょっと山の中をず〜っと走ってるんだって思ってたよ。
走っても走っても、何にも見えない。おまけに人っ子一人歩いていやしないし、走れば走るほど、そのもやのせいで、濡れる一方。とうとう、カッパを着たよ。そして、向うからやってくる車は、全くなし。暗い。寒い。疲れた。寂しい。怖い・・・・
そんな状況で、やっとあったよ!!!キャンプ場!!!結構設備が整ってる綺麗そうなキャンプ場が!きゃー!シャワーできる!テントが張れる!休める!あのキャンプ場でかそうだから、他に誰か人がいるかも!もう寂しくない!もう、何も探さなくていい!もう、今日は、バイク乗らなくていい!
なんて思いながら、近づいていくと・・・なんか、誰もいないような気が・・・おまけに、入口に鎖が・・・それって、どういうこと?・・・
バイクを止めて、歩いてキャンプ場の中を調べにいったんだけど、確かに設備が整ってたけど、シーズン的にまだ早すぎて、まだやってなかったんだよね。ほんと、すごいがっかりだよ。
もう一度、気合を入れなおして、出発。
またしばらく走ると、大きな駐車場と、トイレを発見!
今日は、ここでキャンプか!!! でも、この広い駐車場も、もやで隠れて、向うのほうが見えないし、誰もいない。いや、もやの向うには、誰かいるのかもしれない。でも、それも見えない・・・ トイレがあって、便利かもしれないけど、そのトイレ、かれこれ何年くらい使われないで、そのまま放置されてるんだろ? ひえ〜っ! 怖い〜っ! こんなとこにテントなんか張れっかよ! って思って、猛スピードで、再び出発。
ちょっと行ったとこで、国民宿舎を見つけたんだけど、ほんとなら、まあまあのはずが、もう、それまでに、心がとっても畏縮しちゃってたから、何見ても怖いんだよね。
はっきり言って、その国民宿舎見たとき、ひえーっ!幽霊屋敷ー!って思ったもんね。でも、このまま、怖いとか思いつつ、外で寝るのと、中で寝るの。どっちがいいかって、考えたら、やっぱ、中だなっていう、結論が出たんだよね。だから、今晩は、そこで寝ることに決定。
部屋は、角部屋だったんだけど、窓がでかくて、出窓になってたかなあ。外を見るとやっぱ、もやのせいもあって、暗いし怖いんだよね。全部障子を締め切って、いつもなら角部屋がいいくせに、このときばかりは、いや〜んっ!この部屋怖いー!窓がこんなにいっぱいあったら、なんかに襲われるー!おまけに、窓の外はどうなってんのか、全然わかんないし、角部屋ってことは、向こう側には、誰もいないってことだよね。いや、いるのかもしれない・・・この世の人じゃない人が・・・ もう、とにかく見るもの見るもの、妄想にかられちゃってね。この時ばかりは、訳もなく怖かったよ。フロントにいた人の顔が、青白く見えて、人間じゃないのかも?なんて、思っちゃったり。
まあ、そんなこと言ってても、始まんないから、いつも通り、部屋で、夕飯の仕度。ご飯炊いて、ちょっとおかず作って・・・何度も言うようだけど、国民宿舎の人ごめんなさい。
ご飯も終わって、怖かったから、広島の友達に電話して、しばらくたわいもない話したっけ。
もう、疲れてたし、トイレ行って寝よ。って思って、部屋を何も考えずに出たんだけど、ちょうど、夜の9時を過ぎてて、何故か、もう、ローカの電気が消えてたんだよね。角部屋だったし、すぐぞばに、あの、緑色の非常灯があって・・・ わかるでしょ?その状況が、どんなに薄気味悪いか。とにかく、走ってトイレ行って、走って帰ってきて、布団にもぐりこんで寝たよ。
なんだか、とにかく、わけわかんないけど、寒くて、怖くて、心細い一日だったよ。ほんと。
第9日目 -牡鹿半島(宮城)〜大船渡(岩手)泊-
6/12
'96 曇りたま〜に時々晴れ
朝、国民宿舎で目が覚めると、なんとなく、外が、明るくて晴れてるような気がしたんだ。
で、昨日の夜、怖くて締め切った窓の障子を開けてみると、そりゃもうびっくりだったよ!
昨日、あれほど薄気味悪かったのに、なんとその窓の向うに広がってたのは、一面海!綺麗だったよね。あれ!?ここってこんなに綺麗なとこだったの!?って。
前から思ってることだけど、綺麗なとこって、夜になると薄気味悪いよねえ。そんなこと思ってんのは、私だけなのかなあ?
そうなると、心も晴れやかになってきて、全てが明るく楽しく見えてきちゃってね。昨日、幽霊屋敷かと思っちゃったこの国民宿舎も なんとなくいいホテルに見えてくるし、フロントの人も人間に見えてくるし。とにかく、なんだかちょっと、疲れが取れたような気がして、はりきって、荷物との格闘を始めたよね。
朝10:00、準備も整い、晴れやかな気分で、国民宿舎を出発。
半島を一周する感じで、北へ向かったんだけど、途中で、牡鹿ホエールランドを発見して立ち寄ったんだ。
確か、大きな鯨漁用の船かなんかが置いてあって、その船の中を探索したっけ。
その後、砂金採りを発見!!!もうこうなると、一攫千金をねらって、行ってみるしかないでしょ!
って言うよりも、砂金採りって体験してみたかったから、行ってみたんだ。
専用のおわんに川原で砂をすくって、おわんを揺らして・・・あれ?どうやったんだっけ?とにかく、そんなことやってると、おわんの底に金が残るんだよね。一攫千金とは、いかなかったけど、ちょっと採れたよ。その採れた金をビンに詰めてもらって、記念に持って帰ったんだ。結構、楽しかったなあ。
しばらく、砂金採りに熱中して、時間が、あっという間に過ぎたよね。砂金採りを 楽しんだ後、金入りのお茶と、金入りのようかんが、出されて、しばらく、休憩したっけ。
太平洋に沿って、再び北上。
途中、45号線を走ってると、道の駅のような魚市場を発見して、立ち寄ってみたんだ。
市場の中を歩いてると、マンボーって札がついてて、白身の切り身が、並んでたんだよね。
で、マンボーってなんだろ?って、相方と話してたんだけど、そりゃ、もちろん、知ってるよ。マンボーって、あのでかい、尻尾が切れたような変な形の魚だって。だけど、あの魚は、水族館で見るもんだって思ってたから、そんなものが、まさか、市場に並んでるなんて思わないじゃない。そんなことを あーだーこーだーって、言ってたら、店の人が気が付いて出てきたよね。 ”あんたたち、こっちの地方の人間じゃないね。”って。”南のほうじゃ、マンボー食べないから。”って。もう、そりゃ、驚いたよ。だって、いつも自分の生活しか知らないから、とりあえず、日本国内だけでも、みんな同じ物食べて、同じような生活してるって、なんかどこかで、勘違いしちゃってるでしょ。とにかく、あのマンボーは、観賞用だって、ず〜っと信じて生きてたから、心の中の何かが、ガラガラガッシャーンって感じだったよね。
で、試しに、食べさせてあげるって言って、しばらく、奥へ引っ込んだと思ったら、タレとマンボーのさしみを 持ってきてくれてね。試食させてくれたんだ。
そりゃあ、もう、興奮気味に食べたよ。だって、水族館で泳いでる、観賞用の魚を 今から試食するんだからねえ!!!
タレは、酢味噌にレモンのような何かが入ってたかなあ。魚、それ自体は、白身魚の淡白な感じで、ほとんど味は、感じられなかったと思う。食感は、マグロのような感じだった。どっちかっていうと、濃い味の魚が好きだから、ふ〜んって言うような味だったってとこかなあ。
あと、もう一つ、見たことないものがあったなあ。ホヤっていうもので、あれは、魚には見えなかったけど、いったい、何だったんだろ? なんでも、海のパイナップルとか呼ばれてる代物で、強烈な味がするらしいんだけど。今度、ホヤに出会う機会があったら、ぜひ、食べてみようって思ってるよ。
再び、太平洋に沿って、北上。
大船渡ってあたりに来た時、健康ランドの看板を発見したんだけど、もし、24時間営業の健康ランドなら安く泊まれるかも!なんて、思いつつ、そこまで行ってみたんだ。
そこは、思惑通り、24時間営業で、さっそく、泊まることにしたんだよね。で、またまた駐車場で荷物との格闘してたら、ちょうどその時、ひげをはやしたおじさんが通りかかったんだけど、”あれ?広島から来たの?”なんて、軽く話して、そのおじさん、その健康ランドに入っていったんだよね。
私たちは、荷物と格闘後、とりあえず、風呂に入ることにして、休憩所って言うか、よくあるでしょ?舞台のついてる宴会場って言うか、そこで、待ち合わせってことにして、相方と別れたんだ。
で、お風呂から出て、その宴会場に行ってみると、さっきのおじさんと相方が一緒にビール飲んでてね。あれ?何て思いつつ近づいていって、事情を聞いてみると、相方が、お風呂から出て、私を その宴会場で待ってたら、そのおじさんが、そこで飲んでて、呼ばれたんだって。で、私たちが、旅してるって言うのを聞いて、とにかくこの先、いつ、いい思い出来るかわかんないから、今日、たらふく食べて、たらふく飲んどけ!って、言われて、飲ませてくれてたんだって。
もちろん、その後、私も加わって、大宴会だよ。
そこの広間で、歌を歌へ!ってことになって、私も一曲歌ったんだよね。そしたら、その宴会場にいた、他のグループのおばさんが、私のファンだって言い出しちゃって。なんだか知らないけど、私の顔と、歌が、とにかくタイプとかで。そのおばさんに、とにかく、あっちこっちなでまわされて、パンとかみかんとか、その時おばさんが持ってた食料とか、そこで注文してたお刺身なんかを くれたよ。
その健康ランドの隣に、カラオケがあったんだけど、ひげのおじさんに、その後、連れて行ってもらったんだ。
ほんと、よく飲んで、よく遊んだよ。さんざん遊んだ後は、健康ランドに戻って、仮眠室のようなところで、朝まで、寝たよ。
いやあ、ほんと、あのおじさん太っ腹だったなあ。ありがと!
第10日目 -大船渡〜岩井崎〜平泉〜真湯温泉そば泊-
6/13
'96 晴れ
健康ランドの仮眠室で寝てると、昨夜のひげのおじさんが、もう仕事へ行くとかで、朝、一言声をかけに来た。
私たちは、そのまま、チェックアウト時間ぎりぎりまで寝て、荷物との格闘をし、朝、10:00、その健康ランドを出て、気仙沼市の岩井崎へ向けて出発した。つまり、太平洋側を少し、広島方面に戻る感じになるんだけど。
確か途中で、気仙沼市内を抜けて、海へ出たと思うんだよね。気仙沼って言ったら、フカヒレだよね、なんて思いながら。
あてのない旅だったから、結局、走行距離何キロなんてかいてても、その内には、行ったり来たり、うろうろしたり、なんてのも一緒に含まれちゃってるからね。気仙沼市を抜けてって、書いてても、行ったり来たりしてたのかもしれないんだよね。
とにかく、潮を吹き上げる岩があるってんで、岩井崎へ行ってみたんだ。
そしたら、あったよ。潮を吹き上げてる岩が。結構、潮を吹いてたけど、期待ほどじゃなかったなあ。天候のせいかもしれないけどね。
潮を吹いてる岩に行く途中に、土産物屋とか、お食事どころなんかが、あったんだけど、ちょうどお昼時だったし、フカヒレラーメンって看板がかかってる店を見つけたから、期待して、フカヒレラーメンを食べることにしたんだ。
食べたフカヒレラーメンは、なんだかどろっとしてて、片栗粉かなんかでとろみをつけてあったんだけど、いまいち、苦手なんだよね。ああいう、どろっとしてるやつ。味付けは、なんか、中華丼っていうか、そんな感じだったかなあ。フカヒレ自体には、あんまり味がなくて、春雨のかたまりって感じだったよね。要するに、フカヒレラーメンは、いまいちだったな。
その後、岩井崎付近にあった岩井崎プロムナードセンターってのに入って、私の中で、今回の旅の最大の目的地、平泉に向けて出発。
途中で、民家の玄関先に子犬を見つけて、しばらくたわむれたんだけど、そのときの写真の横に、はちとたわむれる。って書いてあるんだよね。誰とも話してないし、誰かが、その犬の名前を 教えてくれたわけでもないのに、なんで、はちなの? って、一瞬思ったんだけど、そうそう。勝手に命名したんだった。可愛かったよ。はち、元気か〜!?
平泉に向かうため、太平洋側を少しはなれて、内陸のほうへ。
午後4時、284号線を経て、ようやく、最大の目的地、平泉へ到着。この後、旅は、まだまだ続くんだけどね。
いやあ、感激だったね。っていうか、ここに来るまでに、なんでこんなに時間がかかっちゃったんだろ?とにかく、長かったなあ。って、思ったよ。
なんで、平泉が、最大の目的地だったかって言うと、歴史上の人物に、ちょっと興味があってね。
平泉って言ったら、藤原さんとか、義経とか。
平家物語に出てくるある有名な武将が、うちの先祖だってとこから、平家物語を読み始めたんだけど、おもしろくてね。幕末なんかとは、また違った、優雅さとか、悲壮感みたいのがあって。
最後、藤原さんとこの息子たちに、裏切られて、お兄さんにも追っ手をかけられて、自害する義経の気持ちは、どんなだっただろう?とか、平安時代、京都から見て、平泉は、ど田舎の超奥地だとか、思われてたらしく、なにをー!と思った、藤原さんは、平泉に、京都に負けない黄金文化を築いてたらしいんだけど、それは、どんなとこなんだろ?なんて思ったりしてね。とにかく、興味があったから。
夢館っていう、歴史館があったんだけど、そこへ行ってみたよ。
当時の歴史を ロウ人形なんかが並べてあって、再現してあったんだけど、おもしろかった。
鵯越をする、義経部隊の再現なんかもあったんだけど、ほんと、あの坂は、急だったなあ。こんなとこを 馬で駆け下りたのかあ!って言うより、転げ落ちたんじゃないの?って思ったよね。
歴史館を出て、またいつもの事ながら、日も暮れてきてたから、さっそく、テント張るとこを 探しつつ、厳美峡のほうをさまよって、ちょうどいいとこを見つけられず、厳美峡を離れる。
今では、もうそこが何処なのか・・・とにかく、真湯温泉ってのを過ぎてすぐの道路わきに、テニスコートがあって、その裏へまわって見ると、屋根付きのテーブルとイスが、あったし、水が出てたから、さっそく、そこへテントを張ることにして、晩御飯の仕度に取り掛かったんだ。
この日のメニューは、ちゃんと覚えてるよ。忘れられもしない。
メニューは、ご飯、卵入りお吸い物、肉じゃが、きゅうりのサラダだったんだけど、まず、ご飯を炊いて、それから、お汁を作ったんだ。でも、食べる直前に、お汁をもう一度暖めたかったから、卵をまだ入れないで、完成直前にしておいて、肉じゃがに取り掛かったわけ。で、肉じゃが作ってたら・・・あれ!?なんだか、野菜が焼けないなー・・・おまけにジュージュー言わない・・・もしかして・・・これって・・・ガスが・・・ガ・ガ・ガスがないー!!!ってことは、ご飯と、完成されてない汁しかないってことだよねえ?
結局、作りかけの肉じゃがは、明日に持ち越すことにして、作りかけの汁と、ご飯に卵をかけて食べることにしたんだ。とにかく、この肉じゃがのおかげで、後々、大変な目に会うんだけどね。
あとは、後片付けして、テントにもぐりこんで、おやすみなさい。
第11日目 -真湯温泉そば〜中尊寺〜義経堂〜江刺泊-
6/
14'96 曇り
いよいよ、最大の目的地、平泉にいるわけだし、キャンプ場でもなんでもないとこに、テント張ってたから、早速片付けと、荷物との格闘をして、いつもより少し早めの、朝9:00に、テニスコートそばを出発する。もちろん、昨日、作りかけになってしまった、肉じゃがも、一緒に。
15分ほど戻った辺りで、厳美峡に到着。
バイクをおいて、少し、厳美峡を眺めつつ、写真撮影なんかしたりして、ちょっと歩いてみたんだけど、確か、いいとこだったよ。
川があって、その両側が崖ではさまれてる感じで。ちょうど、四国の大歩危小歩危の景色を ミニチュア版にしたような感じだったかなあ。
その川のそばに、団子屋を見つけて入ってみることにしたんだ。なんでも、手作りって、おいしいでしょ。
それぞれの団子に、3色ぐらい、違う味のあんこがかかってたと思うんだけど、美味しかったよ。確か、枝豆だか、空豆だか、緑色のあんこもあったし、黄色っぽい、ごまのあんこもあったよね。
そこで、しばらく休憩した後、中尊寺に行ってみる前に、達谷巌毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)に寄ることにして、10:00、厳美峡を離れる。
達谷巌毘沙門堂ってのは、垂直にそびえ立ってる、岩肌を利用して、建物の半分は、その岩肌が、壁で、その半分は、木造の建物って感じの、変わった建物だったよ。でも、これに似たような建物を どこかでみたことがあるような気がするんだけど・・・思い出せない。あれは、四国か、九州のはずなんだけど・・・
昨日行った、夢館の駐車場を 横目に、坂をどんどん、バイクで走った。中尊寺まで、バイクで行くつもりだったんだよね。でも、行くとこまで行くと、中尊寺まで、バイクでは、行けない事が判明してがっかり。
もう、結構疲れてたから、歩きたくなかったんだけど、せっかく、最大の目的地に来たんだから、って思って、バイクを停めて、中尊寺まで、山道を歩いて登ることにしたんだ。
中尊寺ってのは、敷地内にいろんな建物が点在してたんだけど、その中でも、金色堂ってのがあって、金閣寺のように、金でできってるって言うし、その中には、藤原3代の遺体が眠ってるっていうんだよね。もうこうなると、気になるでしょ。もちろん行ってみたよ。
金色堂の目の前まで来てみると、そんな、金張りの建物なんかなくって、地図を見ると、ここに金色堂が建ってるはずなんだけど、ってとこには、なんだか、和風の町内集会所のようなものが、建ってたから、え!? 金色堂跡!? まさかねえ・・・なんて思いつつ近づいていくと、なんと、その和風町内集会所の中に、まるごと、金色堂が、守られる形で、建ってたよ。要するに、建物の中に建物があるって感じで。
確かに、キンキラ金だった。おいおい、藤原さん。あんたー、成金かい?って思ったよね。
そこで、しばらく、3代秀衡公、4代泰衡公のことに思いをはせつつ、金色堂をあとにしたんだ。それじゃ、1代2代のことはどうでもいいのか?ってことになっちゃうかもしれないけど、そこんとこは、あんまり深く考えないことにしよう。
ちょうど12:00、また、夢館の駐車場まで降りてきて、バイクを停めて、しばらく休憩してたんだけど、ずっと気になってる食べ物屋が、その駐車場にあったんだ。昨日の残りのご飯が、ちょっとあったんだけど、なんかとにかく、なんとなく寒かったし、天気も悪いから、残り物も大丈夫だろってことで、それは、今晩に回すことにして、お昼を、そのわんこそば屋に行くことにしたんだ。
わんこそばって有名だし、一度、食べてみたかったから。
で、え?大橋巨泉?とか思いつつ、その泉橋庵って言う、わんこそばやに入ったんだ。
メニューに岩手名物って書いてあったから、秀衡盛り付けわんこそばってのをたのんだら、膳が、3段に重なってて、1段は、たれとか、薬味とか、天ぷらなんかがのってたよね。で、あと残りの2段は、もちろん、おわんに小分けされたおそば。
だから、お椀が、いっぱい並んでたから、たかが1食、そば食べるのに、なんと洗いものが、大変なんだろ、なんてよけいな心配をしつつ、たれに薬味を入れて食べてみたんだ。
薬味が、バラエティーに富んでて、とにかく、美味しいおそばだったよ。また食べたいよ、ほんと。いつも、思ってることなんだけど、ソーメンとか、ざるそばとか、たれつけて食べるそばは、ちょっと苦手なんだよね。もちろん食べれるし、嫌いって訳じゃないんだけど、よほどタレが美味しくない限り、飽きちゃうんだよ。その味に。で、結局、半分くらい食べたら、もう、いらないって感じになっちゃうんだよね。だから、いつもは、天ぷらがのってる天ぷらうどんとか、他のものを注文するようにしてるんだけど、この時のわんこそばは、とにかく最後まで、美味しかったよ。まだ、食べたいって感じだった。
その後、13:30、義経堂に到着。
ここは、源義経が、兄の頼朝に追われ、3代 藤原秀衡を頼って、ここ奥州に落延び、3代秀衡の死後、4代 泰衡に襲われ、最後自害したって言われてる場所なんだけど、高台にあって、ほんとひっそりとしたとこだったよ。
ひっそりとした石段を登っていくと、そこに、小さなお宮のような義経堂が、建ってて、その中に義経が、奉られててね。なんとも言えない気持ちになったよ。ほんと。
この石段の一番上の、この辺りで、弁慶が、仁王立ちになって矢に刺されたのかな?なんて、考えちゃったりして。
松雄芭蕉が、かつてこの地を訪れ、俳句を残してるんだけど、ほんと、
夏草や 兵共が 夢の跡
だったね。
悲壮感の余韻にひたりつつ、義兄堂を後にして、えさし藤原の郷へ向かった。
なんてったって、そこは、当時、藤原さんたちが築いてた奥州黄金文化を 再現してるって言うんだから、そりゃ行ってみたいでしょ。
HNK大河ドラマ 秀吉のロケでも使用されたとこみたいで、中は、結構広くて、歩き回るのが、面倒だったから、主なとこだけ見てまわったんだよね。
確かに、京都のような建物があちこちに立ち並んでたよ。一番おもしろかったのは、やっぱ、そんなとこよりも、町民が住んでたような町が、再現されてたとこかな。だって、優雅な和風建築ってのは、普段、結構見ることあるでしょ。例えば、それが、お寺だったり、国宝級の何かだったり、京都のほうの建物とか、宮島の厳島神社とか。
でも、ほんと、平安時代の一般ピーポーの建物なんて、見ることないでしょ。だから。
結構、的外れなとこに感動しつつ、16:30、今晩の寝床を そろそろ探すため、藤原の郷を 離れる。
しばらく、江刺をうろついてると、星座の森って看板を見つけて、星座の森へ行って見ることにしたんだ。
途中、食料なんかも買いたして、星座の森付近に到着。
なんとかキャンプ場って書いてあったから行ってみると、閉鎖されて何年か経ってるような設備の整ってないキャンプ場を 発見。もちろん、誰もいなくて、金もかかんないけど、なんとなく、気が進まないなあと、思ってたら、どうやら、相方も同じことを思ったらしく、そのまま、バイクでちょっと通り過ぎて、反対のほうへ行ってみると、なんとそこは、芝生が一面植えられてて、コテージなんかもあったりして、すっごい綺麗なキャンプ場だったんだ。
もう、こっち見ちゃったから、さっきのキャンプ場には戻れないでしょ。おまけに、こっちには、人が、ちらほらいたからね。
結局、ここに泊まることにして、荷物と格闘したり、テント張ったり、晩飯作ったりしてたら、ちょっとだけ離れたとこに、私と同い年くらいの若いカップルが、キャンプしに来てて、お互い、視界に入るものだから、ちらちら気にしあってたんだよね。向うは、車で来てるから、設備なんかも全然違ってて、いいなー。なんて思いつつ。
とりあえず、お風呂や晩飯なんかを済ませたりして、明日の朝食と、お昼のお弁当用におむすびつくって、ゆで卵作って、そのお弁当や、料理器具なんかを 綺麗にまとめて、キャンプ用の調理台の上に置いておいたんだ。明日の朝、積みこむだけでいいように。
ちなみに、ここが、重要なんだけど、この日の晩御飯は、昨日、作りかけてた肉じゃがの続きを 作って完成させて、お昼用にと思ってたおむすびだったんだよね。まあ、新鮮ではなかったけど、別に、まずくもなかったよ。
で、そんなこんなで、調理台の上を片付けたり、あれこれやってると、その若いカップルが、私たちを呼びにきてくれて、一緒にバーベキュー食べながら、飲まないか?って。
もう、お腹いっぱいだったけど、そりゃもう、そんなこと言われちゃったら、大宴会でしょ。
そのカップルに混ぜてもらって、優雅にキャンプ用のイスなんかに座らせてもらっちゃったりして、バーベキューをつつかせてもらいつつ、一緒に飲んだよ。楽しかった。結構、みんな酔っ払ってたんじゃないかなあ。
そのカップルは、そのキャンプ場のすぐ近くに住んでるから、わざわざ来なくてもいいくらいなんだけど、とりあえず、アウトドアを楽しむために何て言ってたよね。で、キャンプ場に来て見ると、私たちのバイクのナンバーが、広島になってたから、ほんとにこの人たち広島から来たのか?気になるー!話してー!って、ずーっと思ってて、いつ話し掛けようか、タイミングをうかがってたんだって。どうりで、熱い視線を感じたよ。
とにかくそんな楽しい夜もふけて、テントにもぐりこんでおやすみなさい。
第12日目 -江刺〜花巻市(岩手)-
6/15
'96 曇り一時雨
朝起きて、顔を洗いに調理場へ行ってみると!!!
昨晩、綺麗にまとめて並べておいたはずの調理台の上の荷物が!・・・めちゃくちゃになってるじゃない!
おいおい!とか思って、近づいていってみると、ご飯粒が、あちこちに散らばってるんだよね。え?なんで?なんて思ってたら、昨日、今日のお昼ご飯にって、作っておいたおむすびを タッパーに入れておいたんだけど、そのタッパーのふたが、全部開いてて・・・ きゃー!誰が、盗んで食べたのー?って騒いでたら、キャンプ場を管理してる人が、”それは、たぬきの仕業だよ。”って。
このやろー!たぬきめー!返せー!私の昼飯!なんて思ってたんだけど、そうこうしてても仕方ないから、片付けを始めたんだ。”ばかやろー!食べんのは、いいけど、よくないけど、せめて、片付けていきやがれ!タッパーのふた開けられるくらい器用なんだろ!このやろう!”なんて、ぶつぶつ言いながら。
片付けてて気が付いたんだけど、確か、この卵入れの籠の中に、昨日ゆで卵作って入れたような・・・
でも、卵の殻は、散らばってないんだけどなあ?・・・え?もしかして、あのやろう、卵を 殻ごとくってったのか〜?!卵くらい、残してけー!卵も食うんなら、せめて、殻くらいむけー!
ほんと、むかついたよ。
朝ご飯も済ませて、またまた荷物との格闘。
ほとんど、準備も終わりかけた所で、昨日のカップルが、最後のお別れの挨拶に来たんだ。
やっぱ、人と別れる時って、なんだか寂しいよね。お互いの連絡先なんかを 交換したあと、じゃーねーって、手を振りつつ、バイクに乗って、10:00 キャンプ場を あとにする。
なんだか、どんより曇ってるし、体の調子が悪いなーなんて思ったんだけど、あんまり、だるいだるいって言ってると、相方に悪いなあなんて思って、何にも言わなかったんだよね。まあ、このせいで、ちょっとしたハプニングに出くわす破目になるんだけどね。
397号線、456号線、107号線を経て、ようやく4号線に出る。
4号線って、メインの道路って感じで、こっちで言うと、国道2号線のような感じだったよね。
とにかく、その4号線を北上してると、北上辺りで、小さな看板発見。まさに、探してたもの。それは。そう。コインランドリー。
とりあえず、コンビニで洗剤を買って、コインランドリーで荷物を全部降ろして、洗濯物を 洗濯機にほおり込んだんだ。洗濯物が、洗いあがるまで、近くに喫茶店って言うか、レストランがあったから、ちょうどお昼時だったし、お昼ご飯を食べに行くことにしたんだよね。
馬鹿ダヌキのおかげで、お昼の弁当が、なかったからね。
昼食を終えて、コインランドリーまで帰ってくると、洗濯も終わってたから、洗濯物を 乾燥機に入れて変えて しばらく、コインランドリーのイスに座って机のとこで休憩してたら・・・
たしか、地図を見たりしつつ、次どうしよっか?なんて、考えてたんじゃなかったっけ?・・・
相方の”おい!”って声で、はっと気付くと、いつのまにか、相方も私も、机にうつぶせになったままふか〜い眠りに引き込まれてたらしいんだよね。驚いたね。だって、いつ寝たのか、全然記憶にないし、”え!?どれくらい時間経っちゃったんだろ?外は、暗いようだけど!・・・”なんて思ってね。
それで、外を見てみると、すっごいどしゃ降りの雨!!!
荷物を全部降ろしてたし、私たちは、コインランドリーの中に居たから、濡れなくてよかったよかった、なんて相方と話しながら、時計を見てみると、どうやら、そのコインランドリーで、2時間ほど熟睡してたらしいんだよね。やっぱ、相当、疲れてたんだね。
コインランドリーで、洗濯物をたたんで準備をしてるうちに、雨もちょうど上がって、ラッキー!とか言いながら、再び、4号線を北上。
また、例のごとく、今晩泊まるとこを探しつつ、あてもなく4号線を北上してたら、1泊2食付で
4500円って書いてある、民宿の看板を発見したんだ!
で、その看板に書いてあったのは、何キロだったか忘れちゃったけど、”何キロ手前
の信号を・・・”って、書いてあるじゃない。しかたなく、また、いつものことだけど、戻ったよ。この先、もうないかもしれないからね。ちょうどいい宿泊施設が。
晩御飯の時間に間に合わなかったから、近くのコンビニで、弁当かって、部屋で食べて、もうとにかく疲れてたし、なんか調子悪いし、寝たよ。おやすみ。
第13日目 -花巻〜小岩井農場〜田沢湖高原国民休暇村泊-
6/16
'96 曇りのち雨
朝ご飯を食べて、いつも通り、荷物との格闘を始めて、朝10:00、民宿を あとにする。
私営の農場で、日本一なのは、小岩井農場だとかで、そこへ行ってみたんだ。
確かに、なんかだだっ広かったような。
とにかく、なんだか、体の調子が悪いなーなんて密かに思いつつ、小岩井農場まきば園ってのに入場したんだけど、歩くのが、めんどくさかったよ。
で、まきば園の中に、アーチェリー場があったから、ちょっとそこで遊んで、羊とたわむれたりなんかして、お昼ご飯を食べに、レストランへ行ったんだ。
またここも、バイキング形式になってて、高かったよね。だいたい、こういう、行楽地なんかにあるレストランなんかは、高いもんね。
小岩井農場まきば園の中に、SLが、あったんだけど、飾りか何かかと思ってたら、それ、ホテルだったんだよね。なんか、面白そうだったよ。そのSLホテルに泊まりたかったなあ。
小岩井農場を後にして、46号線沿いのドライブインで休憩。って、旅ノートに書いてあるんだけど、全然記憶に無いんだよね。よほど疲れてたんだと思うよ。
田沢湖に向かうことにして、4号線よりも、もう少し内陸方面へ。
田沢湖辺りで、国民宿舎の看板を発見。さっそく、国民宿舎に向けて、田沢湖から山を 上がって行ったんだ。なんだか、体の調子が悪いなーなんて、密かに思いながら・・・
で、山を バイクでどんどん上がってると、途中で、周辺地図の看板が出てきたから、相方と一緒にバイクにまたがったまま、看板を眺めつつ、いろいろ話してたんだけど・・・
もう、今では、何を頼まれたのか忘れちゃったんだけど、相方に、なんか用を頼まれたんだよね。タイミングよく・・・ 頼まれた瞬間、とうとう、お腹が痛くなってきちゃって、体が、動かないっていうか・・・ で、”ちょっと、今、ごめん。具合が悪くなってきちゃった。”って、相方に言ったんだけど、あんまりにもタイミングがよすぎたから、用を頼まれたことがめんどくさくて、やりたくないから、私が、言い訳してるとか思ったらしくて・・・
うん。確かに、そのタイミングだったんだけど、私的には、ほんとだったんだよ・・・
で、相方も、疲れてるしで、ちょっと切れ気味になっちゃって、猛スピードで、山をまた上がり始めたんだ。
とうとう、国民宿舎を見つけて、気まずい雰囲気の中、荷物と格闘。
部屋に着いてから、安心したのか、ほんと、すっごい具合が悪くなってきちゃってね。あんまりにも熱っぽいから、もう、あんまり聞く耳を 持ってなかった相方に症状を訴えたんだけど、分かってるような、分かってないような・・・しょうがないから、自分でフロントに電話して、体温計を 借りたんだけど、測ってみたら、39度近く熱があってね。そりゃ、辛いはずだわ。ほんと。
で、相方は、それ見て、深く反省したらしく、”ほんとにごめんね。”って、謝ってたよ。私が、辛いとか、全然言わないで、元気そうにしてたから、全然分かんなかったんだって。まあ、そんなわけで、悪いと思ったらしく、気味悪いほど、優しくしてもらったよ。
で、フロントで熱冷ましなんかの薬をもらって飲んどいたんだ。
晩御飯は、部屋で、カップラーメンを食べて済ませてから、お風呂へ。
その後、すぐ布団に横になって、とうとうダウン。
といっても、ここからが、地獄だったんだ。ほんと、今まで、こんな地獄を味わったことは、ないね。お腹が痛くて、何回もトイレに行ったんだけど、もう、何にも出ないんだよね。でも、脂汗は出るし、青ざめるし、目の前が真っ白になって、気を失うのかって思っちゃうし、とにかく、朝までトイレから出れなかったんだ。ほんと、このまま、死ぬのかなあ?なんて思ったほど、すごかったんだ。だから、最初は、ただの腹痛かな?なんて思ってたんだけど、途中でこれは、絶対違うなって思ったよ。
で、いろいろ考えてみたんだけど、原因となる食べ物があるとすると、あの次の日に回しちゃった、肉じゃがとおむすびかなって。でも、相方も同じ物食べたんだけどなあ。
きっと、あれは、食中毒だったのかなあ?でも、次の日、TVのニュースで秋田で O-157 被害広まる。って、やってたし、あれは、O-157だったのかなあ?とにかく、何なのか分かんないけど、それくらいひどかったってことだよ。
ほんと、誰か、救急車ー!って感じだった。でも、そん時、私、国民健康保険に加入してなかったから、病院に行くと、金かかるから、ちょっとした病気くらいじゃ、病院いけないって思ってたからね。とにかく、我慢したよ。ほんと、辛かったね。もう2度と嫌だ。あんなの。
ってなことで、朝まで、ほとんど寝てないよ。この日は。
第14日目 -田沢湖高原国民休暇村(スイス村、田沢湖)-
6/17
'96 晴れ
朝方までトイレで苦しんで、そこからようやくなんとか、眠りについたんだよね。おかげで昼前まで寝てたんだけど、やっぱせっかく秋田まで来てもったいないって言うんで、相方のバイクの後ろに乗っけてもらって、出かけることにしたんだ。
昨日上がってきた山道を田沢湖まで降りていくと、スイス村ってのがあったから、入園してみたものの体がつらくてね。で、ちょっとぶらぶらして、ぼーっとして。
そのあと田沢湖でボートに乗って、相方に漕いでもらって、ぼーっとして。
でも、田沢湖は、北海道の摩周湖だったかにつぐ、日本で透明度第2位か何からしくてね。とにかく透き通っていて綺麗だったよ。ボートから湖面を覗き込むと吸い込まれそうになっちゃうくらい。で、どこまで透き通ってるのか知りたくなっちゃったから、石とか何かを落としてみたかったんだけど、そこは、ボートの上でしょ。何にもないじゃん。だから、財布から10円だまを取り出してそれを落としてみることにしたんだよね。落としてみるとしばらく、10円玉が落ちてく様子が見えてたんだけど、かなり深いらしくて、その内何処行ったか分かんなくなっちゃったよ。ああ、そうそう。確か、田沢湖って日本で水深が一番深い湖じゃなかったかなあ。
田沢湖周辺をバイクでぶらぶらしたりして、夕方には宿舎に戻ってきたよ。
夕飯作る元気もなくってこの日は、コンビニの弁当食べて、お風呂に入りに行って。
そうそう、そのころからだったか、体の異変にきずいてね。って言うのも、肌がすべすべで
新陳代謝してる〜!って感じだったんだよね。で、何でだろ?なんかいいもん食ったっけ?って考えてみたんだけど、いつもと変わらないもの食べてたし、そんなはずはなくてね。で、よ〜く考えてみると、どうやらそこの宿舎の温泉が原因らしいんだよね。まだ、具合もよくないし明日も同じとこに泊まる予定だったから、明日は、朝も夜もはいっとこ!って、心に決めて早々と寝ることにしたよ。まだ、熱っぽかったし。
ってことで、体を休めるため今日は、ここらへんでおやすみなさい。(そんな具合が悪かったんなら今日1日出かけないで、寝とけ!っての。)
第15日目 -田沢湖高原国民休暇村-
6/18
'96 雨一時曇り
昨日早々と寝たから、朝9時には起床。
今日あたり具合よくなってるかな?って期待してたんだけど、今日もあと少しなんとな〜く熱っぽくてね。初日のようにお腹が引きちぎられるほどの痛みはなかったんだけど、時々苦しくなるって感じだったし、やっぱもう一日同じ宿舎に泊まることにしたんだ。まあ、なんとか普通のことはできるくらいに回復してたんだけど、長旅の疲れもあるし、出発しちゃったらこの先また疲れる一方でしょ。だから、もうちょっとゆっくりすることにしたんだ。
昨日の夜、朝お風呂に入ろうと思ってたんだけど、起きた時間も時間であきらめたわけ。それに昨日思ったことは、勘違いかもしれないしね。
部屋で友達に旅の報告のハガキなんかをかいたりして昼頃までゆっくり過ごしたあと、宿舎の食堂に昼飯を食べに行ったりして、とにかく疲れないように努めたよね。
のくせに、3時ごろから1時間ほど宿舎の横にあったテニスコートで相方とテニスをしたんだ。具合悪い奴がそんなことすんなー!って自分で思ったんだけど、あんまりにも退屈で・・・
それから宿舎に戻って宿舎内の喫茶店にケーキを食べに行ってね。そうそう、コーヒーなんかも飲んじゃったりして。とにかくゆっくりとした時間を過ごしたよ。
夜、もう一度例のお風呂に入りにいって夕飯はコンビニのもので済ませて、とにかく明日に備えたいから早めに寝たよね。
明日には完全に治ってることを期待しておやすみなさい。
第16日目 -田沢湖高原国民休暇村〜八戸(青森)-
6/19
'96 雨
朝目覚めると熱も下がって、体調万全とまではいかないまでもなんとか出発できそうだったから、いよいよここを立ち去ることにしたんだ。
ゆっくり仕度を始めて昼過ぎ、荷物との格闘も終わっていざ出発。
山形の蔵王で出会った例の戸締り役社長のおすすめもあって青森の種差海岸そばにある食堂にうに丼とかいちご煮を食べにいくことにしたんだ。だから、青森種差海岸方面へ。
せっかく旅の再開をしたのにその日は、体調もすぐれないどころか天気もすぐれなくてね。そんな中、田沢湖高原を田沢湖方面へ下って行ったんだ。
46号線を経由して途中ドライブインで昼食。この辺りでは一瞬晴れてたかなあ。でも、風邪は強いし寒いしで、この一瞬の晴れ間がすっごいうれしかったよね。
で、ドライブインで焼肉定食なんか食べながら、食堂のおばちゃんと話したのは、なんでこんなにその辺りは寒いかってことだったと思うよ。あと、せっかくここまで来たんなら、北海道へ行きなって言ってたよね。
遅めの昼食を済ませてまた46号線を4号線方面へ。
寒い。夕方までゆっくりと八戸に向けてひたすら走ってたんだけど、とにかく寒い。書くことはそれしかないのか?って言うくらい寒かったよ。ほんと。寒いから早く八戸に着いてどこか暖かいところに泊まってゆっくりしたいよー!って心は叫んでるんだけど、スピードをあげるとよけい寒いでしょ。早く行きたいけど、速く走りたくない。みたいな変な感覚でずっと走ってたよね。だって、東北もこの辺りまでくると、バイクに乗ってて寒いのはともかく、バイクから降りて普通に歩いてても寒いんだから。ほんと7月も近づいてるってのに広島じゃ考えらんないよ。こんなこと。
夕方5時に4号線の途中にあったホームーセンターによってボンドを買ってるんだけど、何に使ったんだろ?全然思い出せないや。そんなことより、途中、青森県に入った辺りから、一段と寒かったよ。ず〜っと”寒い寒い寒い寒い寒い寒い”っていいながら走ったり、”いやこんなことじゃいかん!ぜんぜん寒くない寒くない寒くない、いや、やっぱりどーしても寒すぎる〜!寒い寒い寒い寒い、死ぬ〜!凍死するー!”って言いながら走ったよ。
とうとう日は暮れてくるし寒いし八戸まではもうちょっと距離があるし疲れてるしで、一戸から八戸道を通って八戸へ向かうことにしたんだ。
たしか、八戸道は時々3車線になったりして広い高速道路だったと思う。
それが、高速道路に乗ってみたものの風邪は強いし寒いし身体は、寒さで固まってくるし。おまけに雨まで降り出しちゃって。とにかく最悪。
気持ちは早く八戸へって思ってるのに身体は言う事聞かないし、飛ばすとよけい寒いし、ヘルメットから出てる皮膚に針のように雨が突き刺さって痛くてね。とにかく気持ちとは裏腹にぜんぜん八戸に着かなかったよね。もう、ほんと。”八戸の方が私の方へやって来やがれー!!!バカヤロー!”
って感じだったよ。
やっとの思いで八戸に着いて旅館を探し始めたんだ。
しばらくするとゲームセンターとか温泉とかなんだかんだが一緒になってるビジネス旅館のようなものを発見したよ。で、さっそくそこに宿泊することにしたんだ。
もうその時は雨もあがってたんだけど、高速道路の途中で雨にたたられちゃってたから、全身ずぶ濡れでしょ。また荷物を旅館の部屋まで運んだんだけど、ローカのあちこちが水浸しになったっけ。で、とにかく部屋で着替えて隣にコインランドリーがあったから洗濯物を洗濯機に放り込んでから銭湯に行ったんだ。その銭湯も同じ敷地内にあったから。
お風呂で暖まるとようやく生きた心地がしたよ。
夕飯はこれまた同じ敷地内のコンビニで買ってきて部屋で食べたんだ。だって、とにかく疲れてたし体調もよくなかったから、夕飯を作る気力がなくてね。
そんな感じで洗濯物を取り込んで、今日もお疲れの中おやすみなさい。
第17日目 -八戸〜種差海岸〜下北半島-
6/20
'96 晴れ時々曇り
なんとなくどんよりとしたはっきりしない天気だったんだけど、なんとか昨日の雨もあがって、朝10時、八戸の旅館を出発。
山形で出会った戸締り役社長のおすすめ第2段ってことで、青森の太平洋側の種差海岸に うに丼といちご煮がおいしい食堂があるって言うから種差海岸へ向かったんだよね。もう頭ん中うにだらけ。
とにかくお昼前、種差海岸に着くと目の前にぱ〜っと海の景色が広がって、なんとなく晴れてたから気持ちよかったね。
バイクを止めて、しばらく海岸で寝そべったり写真撮影なんかしたりしてちょっとくつろいだ後、そろそろ時間もちょうどお昼になったから、さっそく教えてもらった食堂を探したんだ。
あったよ。海岸のすぐそばに。すぐ分かった。これを見落とすなんて、よほどの馬鹿かってくらい。だ、だ、だけど、どうも店が静まり返ってる・・・ そ、そ、それって・・・ そう、案の定、その日は定休日だったのさー!
せっかくここまで来たのにー!もう、頭ん中、うにで一杯だったのにー!いまさら、うどんとか、ハンバーグとか、他のメニューに切り替えられるわけないじゃ〜ん・・・
ってことで、気を取り直して、その店の隣にあった食堂に入ったんだ。美味しいか美味しくないか、保証はなかったんだけど、とりあえず、うに以外のものを食べるよりいいやって思ってね。
さっそく注文したよ。いちご煮とうに丼。
私も戸締り役社長から聞くまでいちご煮が何なのかわかんなくて、”苺が煮てある汁?ウエ〜ッ!まずそ〜!”って思ってたんだけど、そんなものとは全然違ったよ。透明なお吸い物で、その中にうにとあわびが入ってんの。そりゃ値段も高いはずだー。八戸から久慈市にかけての郷土料理らしいんだけど、私的には、やっぱ、うには生で、あわびは、焼いてあんのが一番好きかなって思ったよ。でも、それは、その店の味だったのかもしれないから、閉まってたけど、戸締り約社長が言ってた店が、すっごい気になったよね。でも、すごい貴重な体験だったね。それこそ、そんなもの広島にはないわけだから。
そんな贅沢なお昼を過ごした後、下北半島方面へ。
この頃までに、出会う人出会う人みんなに、”ここまで来たんなら、北海道寄ってかないでどうすんだ!”
って言われてたから、この頃からなんとなく、北海道へも渡ろうかな〜?って気になってきてたわけよ。で、青森から北海道につながってるトンネルあるよねえ?あれ、九州と中国地方を結んでるトンネルと同じような感覚になってて、もちろん車両も通行できるんだって信じこんでたわけ。だけど、誰かに聞いたら、あそこは車通れないよって言うじゃない。そりゃもうびっくりだよ。だって、自分の信じてきたものが、ここでも音を立てて崩れ去っていくわけだから。いやあ、まいったね。ほんと。
そんなわけで、ちょうど太平洋側に居ることだし、下北半島の先端、つまり本州最北端の大間崎から北海道へ渡ろうかなって思ったんだよね。
種差海岸を出発して小1時間走った所でJUSCOって店が見えてきたから、寒さしのぎに休憩をとることにして店ん中入って、しばらく店ん中うろついてたら、ぬわんと!その店の隣に子供用かなんかの小さな遊園地まがいを発見!さっそく乗ったよ!観覧車。JUSCO 八戸店の観覧車から八戸を一望して、って言うか、乗る前は、ただ単に乗ってみたかっただけで、そんな景色が見れるなんて期待してなかったから、八戸の景色を一望した瞬間、心がウォー!って叫んでたよ。ほんと、バイクを運転してる時の寒さとか疲れとかぜ〜んぶ忘れて。
結局、JUSCO店内があまりにも居心地がよすぎたから、夕方4時頃までJUSCO店内をうろついてしまったんだよね。頭の中では、”おい!日が暮れるぞ!もっと寒くなるんだから早く出発しろ!”って分かってんだけど、心の中では、”寒いよー!JUSCOから一歩も出たくないよー!もう、JUSCOに泊まる!”
なんてな感じで頭と心が話し合ってるって言うか、決闘してるって言うか・・・
とにかく慌てて下北半島へ。
青森に入ってから、なんか町が寂しいって言うか、情緒があるっていうか。私的にはなんとなく好きなとこだったよ。町並みとか、その寂しさみたいな感じが。もう一度ゆっくり青森をまわってみたいなって思ったよね。
とにかく寒さが増す一方だったから、泊まるとこを探しながらどんどん北上。
六ヶ所村あたりでビジネス旅館を発見!
結局一人部屋だったんだけど一部屋だけ空いてたから、そこへ相方と二人で泊まったんだよね。
新しいのかやけに綺麗なビジネスホテルだったけど、なんかとにかく変わってたよ。なんなんだろ、あれ。どこかの社員寮のような・・・ そこへ勘違いした私たちが、間違って泊まっちゃったような気配を感じたんだけど・・・ どうか神様、私の勘違いでありますように!
その晩、北海道へ渡ることを確実に決心した私は、せっかくだから、北海道の釧路にいる友達に電話して、”来るんだったら、あさっての夜か、明々後日の日曜日までに来て!日曜日は、仕事が休みだから。”って言われて、OKとは返事をしたものの、この寒さの中、明後日の夜、釧路まで走れるのか?なんて不安になったりしながら、おやすみなさい。
第18日目 -下北半島(大間崎)〜室蘭〜登別-
6/21
'96 晴れ
朝、ビジネス旅館で朝食を食べに食堂へ行ったんだけど、やっぱ雰囲気がどっかの会社の社員寮なんだよね。おまけに、そこで朝食食べてる他の人たちはみんな会社の制服着てたし、ほんと仕事行く前って感じで。確かにビジネス旅館だから、そんな人たちがいてもおかしくはないんだけど・・・
朝10時、北海道へむけて、ビジネス旅館を出発。
昔から北海道には憧れてて、いつか行ってみたいって思ってたくせに、今回この旅をしながら何故か、ずっと北海道へ行こうって思わなかったんだよね。この辺りに来るまで。って言うのも、とにかくずっと寒かったし、ましてやもっと北の北海道なんか行っちゃったらもっと寒いんじゃないかって心のどこかでなんとなく思ってたんだと思うよ。でも、ここまで来るまでに会う人会う人みんなに”ここまで来たんなら北海道行け!”って言われたし、”最近毎日こっちの方の天気は梅雨時ですぐれないけど、北海道は梅雨ないから。”って言われたんだよね。
それで初めて北海道って梅雨ないんだ!そんなの知らなかったって思ったんだけど、結構、この言葉が、北海道へ渡ろうっていう気持ちにさせてくれた一番の決め手だったと思うよ。毎日毎日、天気の心配と、寒さの心配で日々明け暮れてたから。
338号線を通って下北半島を本州最北端へ向けて走ってる途中、なんかいい意味で変なんだよね。なんか変だな変だなって思いつつしばらく走ってたんだけど、やっぱ気になるからちょっとどこかで止まろうかなって思ってたら、相方も同じことを思ってたらしく、ちょうど同時ぐらいでバイクを道路の脇に止めたんだよね。
そしたら相方も何か言いたそうな顔しててね。そこは何にもない物寂しい原っぱのようなものが、ひたすら続いてる道だったんだけど、何かが違うんだよ。今まで見た事ない景色だったんだ。確かに野原なんて見た事あるよ。でも、違ったのは、ず〜っと向うの向う、すっごい遠い辺りまで山が全然なくて地面が平らだったんだ。それに建物という建物もなかったから、ほんとず〜っと向うの隣町のそのまた隣町の空の様子が見えるんだよね。なんか感動したよ。とにかく空ってこんなに広かったんだみたいな感じで。
そりゃもちろん、船の上からとか、山の頂上からとか、今までにも空を広く感じたことってあるけど、地上のしかも山を四方に眺めつつ空を広く感じたのってなかったと思うよ。特に広島は、瀬戸内海沿岸から内陸の方に向けて中国山脈が走ってる感じだから、どこを見渡してもすぐちょっとした山とか、建物とか、町なんかに行くと高いビルなんかですぐに視界がさえぎられちゃうもんね。
ほんと、そこは観光地でもなんでもないただの通り過ぎるためだけにあるような場所だったのに相方と二人でえらく感動して、寒さも忘れてしばらく爽快な気分で休憩したんだ。
それから大間崎ちょっと手前の辺りから太平洋に沿って走る細い道路をずっと走ったんだけど、そこの景色もなんだか忘れられないね。あんな海を見たのも初めてだったから。
海が黒いんだよね。九州の玄海灘の黒っぽい紺色の海と違って、何かが浮いてるんだよ。それは、海藻だったんだけどね。おまけに漁船のようなものが止まってたり、いろんな海のものが干してあったり、とにかく磯の香りも濃くてね。ほんと物悲しく寂しいようななんとも言えない雰囲気がただよってて、”ああ、北の海だな〜。演歌でも歌っちゃおうかな。”って思ったよ。
お昼ちょっと過ぎ、とうとう着いたよ!本州最北端、大間崎!
本州最北端、大間崎って書いてある記念碑の前で北海道を背にして記念撮影した後、その目の前にあった土産物屋で無駄遣いだとは思ったんだけど、本州最北端到着証明書なんか買っちゃったりしたね。なんか、ああ、ここまで来たなあ〜って感じでなんか感動してたから。
あれ何て言うんだろ、ウミネコって言うんだよね、きっと。一杯飛び交ってた。またそれが物悲しげでああ、北の果てまで来たなって。土産物屋のおばちゃんが言ってたけど、その日は珍しく海の向こう側に北海道が見えてるって。確かに向うに北海道が見えてたんだけど、その辺りは1年を通して天気の悪い所らしく、年に何回かしか向こう岸の北海道が見えないんだって。
近くにあった食堂で昼ご飯を済ませた後、北海道、室蘭行きのフェリーが出てる大畑港へ向けて出発。
15:00、大畑港へ到着。フェリー出港時間まで相方と話しながら時間をつぶして、いよいよ15:45、北海道、室蘭へ出港!
フェリー内では、北海道に着いたらどうしよう?何て考えながら、前もって買っておいた北海道の本なんか見たりしながら、4時間をすごしたかな。
さて、いよいよ19:45、北海道へ到着。長年夢見てた北海道に今、立ってることへの感動のようなものを感じつつ、バイクを走らせる。
もうすでに日は暮れてたし、今日は、金曜日。釧路の友達の所へ明日の夜か、遅くても明後日の日曜日までに来てって言われてたもんだから、とにかく釧路方面へ向かったよね。
途中、登別で遅めの夕食。本で見つけておいたカレーやさんだったんだけど、なかなか美味しかったよね。
とにかく夕食を済ませた後、登別温泉街で泊まる所を探したんだ。
もう疲れてたし寒いしで、適当に安そうな宿を見つけて、21:30、ようやく落ち着くことが出来たよ。
明日は釧路まで頑張って行かなきゃならないから、急いで床に着く。おやすみ。
第19日目 -登別〜日勝峠〜釧路-
6/22
'96 晴れのち雨又はみぞれまじりの雨
さあ、今日は頑張って釧路まで行かなきゃ!と思ったから、いつもならチェックインぎりぎりまでうだうだするんだけど、ちょっと早めの9時には出発。
苫小牧までひたすら36号線を走ったんだけど、なんかやっぱ北海道って広いな〜とか、道が真っ直ぐだな〜とか思ったよね。最初は、なんかちょっと感動してウォー!とか言いながら走ったんだけど、そのうちにバイクで走るにはその真っ直ぐさが退屈になってきて・・・
だってアクセルひねったままず〜っと同じ動作をしていなくちゃいけないでしょ。で、しばらく真っ直ぐぼーっと走ってると曲がるっていう動作を忘れちゃってて、こっちで言えば、な〜んでもないこんなのカーブとも呼ばないようなカーブが突然出てくるとびっくり。スピードもスピードだしなにしろ曲がるって行為を忘れるほどぼーっと走ってんだから。
で、そんなこんなしてるうちに苫小牧辺りでパワーセンター発見。腹ごしらえと、この辺りで一度止まらなきゃいけない重大な理由があったんだよね。
まず、ここまで来てマック〜?何て思いつつマクドナルドでブランチ。その後、ホームセンターでバイク用品とか必要なものを買って、おまけにパン屋でパンを見てたら美味しそうだったからついでにちょっと買いこんで、さて、ここからが重大な決断に迫られるとこだったんだ。
って言うのも、釧路まで行くのに襟裳岬経由で海岸線をずっと通っていくか、日勝峠経由で山越えをして行くかだったんだよね。で、何人かの人に聞いてみると、みんな言うことは同じだったよ。
襟裳岬経由だとこのまま真っ直ぐ行けば釧路に出られるけど、もし天候が悪くなってくると、途中、襟裳岬辺りで通行止めになるんだって。結構簡単に。で、おまけに回り道がないから、通行止めになってたら、この辺までまた戻ってきて、結局は日勝峠を通らないと釧路には出られないんだって。ここから襟裳岬までは150kmぐらいだと思うんだけど、もし天気が悪くなるとすると、天気の悪い中、
150km行った距離をまた戻ってくるのって絶対いやだよねえ?だから、結局、日勝峠経由で釧路に向かうことにしたんだ。
この日はこの旅の中では珍しいほどの快晴で、確かに北海道は寒かったんだけど、日がぽかぽかと背中を暖めてくれたから、なんとか走れるなって思ったんだ。が、しかし・・・
これは後になって知ったことだったんだけど、北海道の中でも、札幌辺りは雪が多いけど暖かいほうなんだって。で、ここからもう少しで、地獄を見る破目に・・・
前から思ってることだけど、人間って本当に楽しくやってるときとか、本当に怖い時とかとにかく大変な時って、写真とる余裕なくて、遊びに行ったり旅したりしたときの写真を後から見返してみると、ほんとに楽しかった時とか、残しておきたかった瞬間の写真って1枚もないよねえ。私だけ?
ま、とにかくそんなわけで、この日は、この旅の中で最も最悪の状況だったと言えるでしょう。って言うか、確かにこれまで一番体調の悪かった日とか、一番心細かった日とかあるんだけど、とにかく、この日が一番辛かったよ。だから、この一日の写真が一枚もないんだよね。そんな余裕何処にもなかったような気がする。
11時ちょっと過ぎ、とにかく36号線を日勝峠に向かうため千歳方面へ海岸線を離れちょっと北上。
ちょっと寒いけどなんとか爽快な気分で千歳から日勝峠へ向けて今度は274号線をひた走る。
昼過ぎの1時ごろだったか、日勝峠の途中トイレ休憩ができるパーキングを発見して立ち寄ったんだ。なんか天気もいいし気持ちいいね。なんて相方と話しながら、トイレ行ったりバイクの側で休憩してたんだけど、ちょうど釧路方面から来た車のお兄さんが私たちを見て話し掛けてきたんだ。広島から来たの?とか、これまで何処行ってたの?とか、これから何処行くの?とか。
で、これから今日は、釧路まで行くって言ったらそのお兄さんすっごい驚いてて、”えっ!?これから釧路!?それは無理だよ。って言うか、やめといたほうがいいよ。”て言うんだよね。で、なんでかな?って思ってたら、そのお兄さんが言うには、そのお兄さんは今日釧路から来たとこらしいんだけど、釧路は今日すっごい雨降ってて、バイクで濡れながらそこまで行くには大変すぎるから、私の釧路の友達に相談して明日行くことにしたほうがいいって言うんだ。後は、そのお兄さんとちょっとした世間話なんかしてわかれたんだけど、そこからが相方と会議が始まったよね。
結局私たちの結論は、こんなに天気がいいのに釧路が雨降ってるなんて信じられないし、できれば今日中に釧路につけば、友達が明日日曜日で仕事が休みだから一緒に一日中遊べるからってことでやっぱり今までの計画通り釧路へそのまま行くことにしたんだよね。まあ、こんな結論に達する破目になったのは、北海道って道が真っ直ぐだし、結構距離があっても早く着いちゃうから。つまり、北海道で仮に1時間で100km先に着くとするでしょ。でも広島で1時間でいける距離ってしれてるわけ。だって、信号あるしましてや渋滞なんかにはまろうもんなら・・・
時間経過的に、そんなに遠くに行ってしまった感覚がなかったわけ。だから、隣町かそのまた隣町かぐらいにいったような感じで。要するに、そんなに天候の差があるなんて思わなかったわけよ。でも、考えてみたらあたりまえなんだけど、広島から高速道路で300km先は大阪なんだよね。それを考えると、今朝出発した登別と釧路の天気が全然違ったってなんにもおかしくない話だったのにね。
で、日勝峠を気持ちよく走ってると途中異変に気付き始めたんだ。って言うのも、私と同じ車線、つまり釧路方面へ向かうライダーは、私たちと同じく誰もカッパを着てないんだけど、対抗車線から来るライダーは、すれ違うたび一人残らずカッパ着てることに気付いたんだ。で、あれ?も、も、もしかして・・・って思いつつもしばらく走ると急に雨。おかげで気温も急にぐっと下がって寒くなってくるし・・・ だけど、ちょっと寄れそうなドライブインとか何にもないんだよね。おまけにとろとろ運転の渋滞にはまってっしまうし。バイクだからすり抜ければいいじゃんってなとこかもしれないんだけど、それが、一寸先は闇ってほど辺りは雲と霧で見えなくなっちゃってるし・・・ あ〜!寒い!冷たい!凍える!死ぬ!前が見えない!とろとろ運転めんどくさー!カッパ早く着たいけど、全然止まるとこない!でも、もうすでに全身こんなにびしょぬれの状態でカッパなんかきたくねー!温泉かストーブで暖まりてー!と思いながら行っても行ってもないのよ。止まれるとこが!いや、ほんとはちょこっとしたとこならあったのかもしれないんだけど、もうこんなにびしょ濡れだったから、できれば、屋根がちょっとついてるとこで服も着替えて身体をあっためてからカッパを着たかったから、やっぱドライブインかどこかの温泉かせめてパーキングエリアのトイレでしょ。でも、そのどれも全然ない・・・ ず〜っとない・・・
とうとうそんな状態で1時間以上は走ったはず。で15:30、日勝峠途中でやっと!ドライブイン発見!さっそく立寄ったよ!土産物屋のストーブでとりあえず暖まってから外で簡単に着替えをしたんだけど、あとから続々私たちと同じように釧路方面行きのライダーがびしょ濡れで入ってきてたっけ。
ほんとは喫茶店とか店内で暖まれるものを注文したかったんだけど、そこは外に売り場がくっついてるポテトとか売ってるような店あるでしょ。あれだったんだよね。何で中じゃないんだ!寒いよ〜!車の人が羨ましい〜!何て思いながらお初でいもだんごを食べたんだ。
とにかくこんな最悪の天候の中、釧路まで行かなきゃならなかったから、16:00にはそのドライブインを出発。
今日中に釧路へ行くのはあきらめようかって思ったんだけど、峠を越すまで何にもないって言われちゃうし、友達も待っててくれてるかもしれないからって思って頑張って峠を浦幌方面へ下って行ったよ。お昼に雨が降り始めて以来、ずっと薄暗くて夕方のようになってたよね。で、ようやく峠を越えて38号線を海岸沿いに釧路方面へ。
18:00、カレー屋で夕食ってなってるんだけど、とにかく寒かったことしか憶えてないんだよね。そのまま38号線を19:00、20:00と時間が経つばっかりで釧路に着かない・・・
すると途中、なんか雨が・・・ 雨の様子がおかしい・・・ あれ!?これみぞれがまじってない!?おいおいまじかよー!もうすぐ7月だよ!7・が・つ!とにかく、峠を越えれば少しは暖かくなるかと思ってたのに大きな間違いで、釧路へ近づけば近づくほど寒い!まさに真冬だったよ。
何度もあきらめそうになりつつ、友達の顔を思い出しては気合を入れなおして、ようやく!なんとか!21:00、釧路駅に着いたよ!!! フルマラソンを走ったことはないけど、そんなすごいものを走り終えたかのように達成感と安堵感でいっぱいになりながら、とりあえず友達に電話。
友達は彼氏のうちに行ってて居なかったんだけど、って言うのも、彼氏と私たちが来たら何処へ連れて行ってあげるかの計画を立ててたらしいんだけど、”今日中に登別からこの天候の中来るのは無理だろ。”ってことで友達も彼氏の家に長居してたらしいのね。だから、友達のお母さんが友達を彼氏の家に迎えに行ってる間に お父さんが私たちを迎えにきてくれてお父さんの車の後ろをバイクで友達の家までついて行ったんだ。
ほんと釧路駅で一度気が抜けちゃってたから後ろをバイクでついて行くのはかなり辛かったんだけどもうひとふんばりすれば暖かい所で休めるんだからって力を振り絞って行ったよ。
さっそく友達の家に上がるとすぐにストーブの前へ。しばらく動けなかったね。
そうこうしてるうちに友達もお母さんに連れられて帰ってきたから友達の家族と私たちで宴会の始まり始まり。いろんななつかしい話とかたびの話とか北海道のことなんかを話しながらみんなで盛り上がって結局、かなり遅い時間までお父さんお母さんも付き合ってくれたっけね。楽しかったよ。
そんな訳で酔っ払いの私は、友達の部屋に布団を敷いてもらって友達と朝方まで喋り倒しておやすみなさい。
第20日目 -釧路(愛冠岬)〜釧路駅-
6/23
'96 くもり
旅の疲れや前の晩遅くまで飲んでたり話してたりで、結局お昼頃起床。
友達のとこは床屋さんで、もう起きたときにはすでに友達のお父さんお母さんは仕事してたよ。で、友達の彼氏ってのもバイクに乗るらしく、朝、私達を何処かへ連れて行ってくれるために一度来たらしいんだけど、まだ寝てたから、疲れてんだろってことで、彼氏は午前中、バイクで何処かへ出かけてったらしい。
で、お昼ご飯を買いに行ったのかもう忘れちゃったけど、近くのコンビニに買い物に行ったのね。バイクに乗ってるわけでもなく、ただ歩いて行ったんだけど、とにかく寒くて凍えそうで走って帰ってきたよ。おいおい!もうすぐ7月だってのに!あそこはまさに冬だったね。
お昼ご飯など友達のとこで食べたりしつつうだうだしてるまに友達の彼氏もバイクで帰ってきたから、今度は車で友達とその彼氏に連れられてお出かけ。
いや〜、やっぱ車は快適だったよ〜。
それで連れて行ってもらったのは、愛冠岬。アイカップ岬って読むんだけど、読めないよね。普通。北海道ってほんと読めない地名が一杯あったよ。
で、愛冠岬に着くとキタキツネがお出迎え。もともと北海道に寄る予定じゃなかったから何にも考えてなかったんだけど、キツネ見た瞬間、なんか得した気がしたよ。
可愛いって言うより、痩せてて目が鋭くてちょっと怖かった。触ると病気がうつるらしくて触ってはいないんだけど、さわりた〜いとは思わなかったな。
適当にドライブを済ませて友達の家に夕方帰ってくると早速、荷造り。
友達のお父さんお母さんは、もっと泊まってけって言ってくれたんだけど、あんまり甘えすぎてもと思ったから、とりあえず、釧路市内のホテルへ移動することにしたんだ。
友達の車の後をバイクで着いて行って、釧路駅に到着。
友達とその彼氏とはそこでお別れ。
その後、駅の観光案内所で近くの安いホテルを教えてもらってとりあえず、そこまで移動。
釧路パークホテルっていうとこだったんだけど、とにかくホテルに着いて荷物をおろして部屋に入ってしばらく暖房の前から動けなかったよ。暖房の前に固まったようにず〜っと居たね。おかげでバイクにのってどっか行くとか全然思わなかった。
そうこうしてても仕方ないし、お腹もすいてきて釧路市内へ何か美味しい魚でも食べに行こうってことになって、タクシーで釧路市内へ。
一応、ホテルを紹介してくれた案内所で繁華街も聞いておいたからその繁華街辺りを歩き回ってお魚料理屋っぽい店を散策。
散策したもののよく分からなかったから、看板がそれっぽい店にとりあえず入ってみたんだ。
そしたらお笑いだよ。その店の割り箸が入ってる袋あるじゃん。それにチェーン店の所在地などが書いてあって、”広島店”ってのがあった・・・
がっかりさ〜!な〜んだ!チェーン店かよ!広島にもあんのかよ!そういや、この店の名前、聞いたことある・・・それは、魚民・・・
がっかりはしたもののお酒も飲んで気分よくタクシーでホテルへ帰って就寝。おやすみ。